ウィニー・マンデラ氏死去、81歳 南アの反アパルトヘイト運動家

1996年に離婚したものの、ウィニー・マディキゼラ・マンデラ氏は故ネルソン・マンデラ氏と結びつきを維持し続けた Image copyright AFP
Image caption 1996年に離婚したものの、ウィニー・マディキゼラ・マンデラ氏は故ネルソン・マンデラ氏と結びつきを維持し続けた

南アフリカの反アパルトヘイト運動家で故ネルソン・マンデラ元大統領の前妻、ウィニー・マディキゼラ・マンデラ氏が2日、死去した。81歳だった。

遺族の広報担当者ビクター・ドラミニ氏は2日、マンデラ氏が「家族と愛する人々に囲まれ、2日午後の早い時間に、安らかに息を引きとった」と述べた。マンデラ氏は長く闘病を繰り返しており、今年初めからは入退院を繰り返していたという。

マンデラ氏の死去を伝えるニュースが報じられると、同氏の死を悼む群集と政治家たちが、ヨハネスブルグのソウェト地区にある自宅に集まった。

マンデラ氏は夫の故ネルソン氏と共に、投獄された経験を持ちながらも30年にわたって南アフリカにおける反アパルトヘイト闘争の象徴だった。

しかし後年には、マンデラ氏の名声は法的にも政治的にも傷つくこととなった。

「国民の母」

ウィニー・マディキゼラ・マンデラ氏は1936年、当時トランスカイと呼ばれていた東ケープ州で生まれた。

同氏は後に夫となるネルソン・マンデラ氏と出会った1950年代にはソーシャルワーカーとして働いていた。マンデラ氏とネルソン氏はその後、2人の娘をもうけた。

2人は38年間結婚生活を送ったが、そのうち30年近くは、ネルソン氏が長い期間投獄されていたために別れて生活していた。

終身刑を宣告され投獄されたネルソン氏からバトンを受け取るようにして、マンデラ氏は反アパルトヘイト運動の国際的な象徴となった。マンデラ氏自身も、正義と平等のための戦いで果たした役割のために、投獄されたこともあった。

支援者からは、マンデラ氏は親愛の情と共に「国民の母」として知られる存在となった。

著名人から追悼の声

南アフリカのシリル・ラマポーザ大統領はテレビ放送された演説で、マンデラ氏を白人少数支配に立ち向かう「抵抗の声」と呼びたたえた。ラマポーザ大統領は今年初めにもマンデラ氏を称賛していた。

Image copyright AFP
Image caption 故ネルソン・マンデラ氏が終身刑を宣告された日、裁判所の外に立つウィニー・マディキゼラ・マンデラ氏

ラマポーザ氏は2日、「搾取に立ち向かうとき、マンデラ氏は正義と平等の王者だった」と語った。

「彼女はいつも、人々の自由への希求の象徴だった」

お使いの端末ではメディアプレイバックはご利用になれません
ウィニー・マンデラ氏とは?その足跡をたどる

ノーベル平和賞受賞者のデズモンド・ツツ元大主教はマンデラ氏が「アパルトヘイトとの戦いにおける決定的な象徴」だったと述べた。

ツツ氏は「彼女の勇敢な抵抗は、私や運動化の世代にとって深く鼓舞されるものだった」とも付け加えた。

ジェフ・ラデベ・エネルギー担当大臣は遺族の代理として声明を読み上げ、「南アフリカの政治的地勢を大股で歩いた巨人」を追悼した。

ラデベ氏は「アフリカ民族会議(ANC)として、我々の解放闘争の偉大な象徴に敬意を表して、我々の革命旗を半旗にする」と語った。

「マンデラ家は、彼女の人生という贈り物に深く感謝している。彼女の死に我々の心は打ち砕かれているが、彼女を愛してくれた全ての人々に、この類まれな南アフリカ人女性を追悼するよう呼びかける」

ANCのグウェデ・マンタシェ全国委員長は、「ママ・ウィニー(・マンデラ氏)の旅立ちで、我々は比類なき支持者と象徴を失った。彼女は私たちに何が正しく何が間違っているかを伝えてくれた存在の一人で、我々はその導きを恋しく思うことだろう」と語った。

マンデラ氏をめぐる賛否両論

しかし、マンデラ氏には何十年にもわたってスキャンダルが付きまとった。

マンデラ氏は、ソウェト地区の一部で行われた恐怖政治を主導したとして、1980年代後半に他のANC党員たちから告発された。また、密告を疑われた者の首に燃えたタイヤを巻きつける「ネックレス」と呼ばれる行為を支持したとされた。

同氏は14歳だった民兵ストンピー・セイペイさんの死に関与したとして、誘拐の罪で有罪となり、懲役6年の判決を受けた。同氏は一貫して疑惑を否定し、刑罰は罰金刑へと減刑された。

Image copyright Reuters
Image caption マンデラ氏は、夫と同じく自らも反アパルトヘイト運動の象徴となった。写真は1988年に撮影されたもの

マンデラ氏を告発を受けている最中も支持し続けた夫の故ネルソン・マンデラ氏は、1990年2月にようやく牢獄から釈放された。

しかしその2年後、結婚生活は破綻した。マンデラ夫妻は1996年に離婚した。しかし、マンデラ氏は夫の姓を残し、ネルソン氏との結びつきも維持した。

マンデラ氏はその後も政治に関わり続けたが、2003年に詐欺罪で有罪判決を受け、再び議論の渦中に立った。

追悼>南アフリカの誇りと喜び――そして我が隣人

ミルトン・コジ特派員 BBCニュース(ヨハネスブルグ)

私はウィニー・マディキゼラ・マンデラ氏を個人的に知っている。我々はソウェト地区の同じ区域の出身だ。

多くの人々にとって、マンデラ氏は国家の誇りと喜びであり、故ネルソン・マンデラ氏の妻であるということを無視しても、彼女自身が崇拝の対象だった。

マンデラ氏はまた、南アフリカで初めての黒人ソーシャルワーカーでもあった。彼女の愛と、彼女を必要とする人を助けたいという欲求は、いつも心の奥底から燃え上がっていた。

だが、マンデラ氏は優しい言葉とはおよそ縁がなかった。マンデラ氏は人種隔離の残忍性に激しく抵抗した。警察が西オーランドにあるマンデラ氏の自宅に彼女を逮捕しに来るたび、マンデラ氏は相手を論破した。

マンデラ氏が降伏することはなかった。1インチたりとも。そしてそれは時に、問題を生じさせた。反アパルトヘイトの運動家モシウア・レコタ氏は、マンデラ氏を擁護してこう記した。「アパルトヘイトの下で何もしなかった人間は、間違いを犯すこともなかった」。

マンデラ氏は、闘争の中で犯した間違いではなく、非人間的なシステムに抵抗したその戦いにおいて記憶されるだろう。

(英語記事 Winnie Madikizela-Mandela: Anti-apartheid campaigner dies at 81

この話題についてさらに読む