母国の内戦を逃れ……エジプトで成功し雇用も生み出すシリアの起業家たち

Sami Al Ahmad, Khatwa founder Image copyright Tinne Van Loon
Image caption ほとんどツテのないエジプトに20歳で逃れてきたサミ・アル・アフマドさんは、今や新興ITサービスの成功者だ

エジプトには50万人近いシリア難民がいるが、難民キャンプに閉じ込められていない。エジプトが他の国より柔軟に難民を受け入れてきたおかげで、多くの難民がチャンスを見出し、新たな事業を起こしている。

シリア難民のサミ・アル・アフマドさんが見知らぬエジプトの地に降り立ったのは、2012年夏のこと。右も左も分からない状態だった。

母国で戦争が始まり、当時20歳の歯科学生だったアフマドさんは軍隊へ入るか、国外へ逃れるかの選択を迫られた。

エジプトの首都カイロへ飛んだアフマドさんは到着と同時に、同国に1人だけいたシリア人の知り合いに電話をかけた。

「10月6日市においで」と、知り合いは言った。1973年にアラブ諸国とイスラエルが戦った第4次中東戦争の開戦日にちなんで名づけられた、カイロの衛星都市のことだ。そこにはシリア人コミュニティーがあるという。

それから3年。アフマドさんは今や、新興ソーシャルビジネスとして注目を集める企業「ハトワ」の経営者だ。これまで約2万人のシリア人学生の大学入学を支援してきた。

会社は2013年、アフマドさんの両親からの少しばかりの初期投資で設立された。若者向けの相談所兼訓練センターとして、大学への入学手続きを500ドル(約6万円)で請け負う一方、シリア、イラクなどのアラブ諸国出身者を支援するため無料の相談も受け付ける。

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Image caption アラアエッディン通りの周りは「リトル・ダマスカス」と呼ばれる

「エジプトに来た当時、勉強を続けるのにとても苦労した。何とか大学への入学手続きを済ませた後、同じ道をたどる人々を手助けしたいと思い立ったんだ」という。

同社は昨年1月、在外シリア人向け事業を対象とする「ジュスール起業コンテスト」(本部・米国)で第3位に入り、1万5000ドルの賞金を獲得した。

アフマドさんは仕事を終えてオフィスを出ると、アラアエッディン通りへ向かう。そこでは2人の実業家仲間が歩道沿いに並ぶカフェの1軒に陣取り、トランプと水たばこを楽しんでいる。店でかかる音楽から道行く人にスパイスの効いたオリーブを売る露天商まで、周りは全てがシリア風だ。

シリアの首都にちなんで「リトル・ダマスカス」と呼ばれるこの地区は、カイロの衛星都市、10月6日市の一角にある。同地区をはじめ、エジプトには50万近くのシリア人が戦火を逃れて避難してきた。ただし国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると、そのうち35万人は正式に難民登録していない。

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Image caption リトル・ダマスカスの人気レストラン「ロスト」のオーナー、ホッサム・マルディニさん。ダマスカスでも同じ名のレストラン・チェーンを展開していた

人気の料理人は大忙し

数メートル先にある地区一番の有名レストラン「ロスト」では料理人たちが忙しそうに立ち働き、人気メニューの「マシュウィ」というローストチキンを薄切りにしていく。テラス席ではお腹をすかせた客が待っている。

店のオーナーは36歳の起業家、ホッサム・マルディニさん。ダマスカスで同じ名のレストラン・チェーンを立ち上げ、5軒の店を展開していた。しかし市街地の戦闘が激しくなったため、やむなく事業を売却。そこで得た資金を元手に、エジプトで再スタートを切った。

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Image caption カイロのスタートアップ・ハブを創設したアフメド・アルフィさん。難民が熱心に働き成功するのは、セーフティ・ネットがないからだと言う。

マルディニさんに友人のシリア人有志7人が加わり、収入源を確保するために始めたビジネス。それが今では4カ所に店を開き、エジプト人とシリア人合わせて120人の従業員を雇うまでに成長した。従業員にはマルディニさんがシリア料理の技を伝授する。「シリア料理はバラエティが豊富だからエジプト人にも大人気だ」と、マルディニさんは話す。

マルディニさんには妻と4人の子どもがいる。仕事が終わった後は毎日、ダマスカスの母と電話で話す。「母はエジプトには来たがらないんだ。年をとると、生まれた場所で人生を終えたいと思うんだね」

ヨルダンなどと違い、エジプトは難民を収容キャンプに入れず、公的教育や医療を提供してきた。だが13年にムルシ元大統領が追放され軍主導の政権が発足してからというもの、外国人への風当たりは強まっている。シリア人が元大統領を支持していたと批判するテレビキャスターもいた。

根っからの商人

こうした逆境にもかかわらず、シリア人起業家たちは未開拓のニッチ(すき間)市場をエジプトで巧みに切り開いてきた。

「シリア人は根っからの商人。常に交易の中心にいたので、新たな事業を始めるのがとても得意だ」と話すのは、エジプト人のアフメド・アルフィさんだ。ベンチャー投資家で、カイロ中心部のタハリール広場近くで活況を呈する新興・ハイテク企業のハブ「グリーク・キャンパス」を創設した。

11年にシリア内戦が始まって以来、多くの大物実業家がシリアからエジプトへ拠点を移し、その投資額は推定4億~5億ドルに上った。

「エジプトに来るシリア難民は、欧州を目指す人たちとはタイプが違う」とアルフィさん。「距離によって淘汰されるからだ。ここへ来る難民は歩いて国境を越えるような人たちではなく、いくらかの資本を持っていることが多い」。

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Image caption オマル・ケシュタリさんはエジプトへ逃れてくる前に、すでにシリアで起業に成功していた

オマル・ケシュタリさん(35)はグリーク・キャンパスの中を歩きながら、かつてシリアで起こした事業を振り返る。まだ大学生だった03年に職業訓練会社を立ち上げ、アレッポとホムス、ダマスカス、ベイルートに支部を開設していた。

しかし12年8月、郊外にあった学校の1つが爆弾で破壊されたのを機に、ケシュタリさんは出国を決意した。

「ITマネジメントの専門家としてはアラブ首長国連邦(UAE)のドバイへ移るのが自然な選択だったが、家族のことを考える必要があった。ドバイでは家族がビザを取得できる見通しがなかったから」と、ケシュタリさんは話す。

エジプトへ移り、環境の変化にぼう然としたまま最初の2カ月が過ぎた後、ケシュタリさんは貯金を投じて、IT分野のネットワーク構築や教育、コンサルティングを手掛ける企業「ネットワーカーズ」を設立しようと決意した。

企業の成長にともない、ケシュタリさんは妻と生後1カ月の子どもとともにカイロ郊外のアルレハブに住居を構えた。民間セクターが開発したこの街には、数千人の裕福なシリア人が暮らしている。

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Image caption シリア人の起業が相次ぐリトル・ダマスカスで、シリア人男性がのんびり談笑してサッカー観戦を楽しむ

シリア難民に成功者が多いのは

「起業家精神はエジプトの将来にとって重要な構成要素のひとつ。政府も大企業も、この流入人口を吸収することはできないからだ」

こう話すアルフィさんの起業支援プログラム「フラット6ラブズ」は、モロッコからサウジアラビアまで中東各地から起業アイデアを募り、資金を提供している。

「難民は社会保障制度の保護が受けられないから、みんな驚くほど勤労意欲が高い。これが有利な点だ。投資家が起業家に求めるのはそこなんだ。情熱だけは訓練で教えられないので」

エジプトの法律によると、同国内で事業を始めようとするシリア人は就労外国人として登録する法的手続きが必要だ。しかしこの手続きは、過去2年間で次第に難しさを増している。

アフマドさんは手続きを4回もやり直す羽目になったが、お役所仕事や法律のハードルにくじけることはなかった。

「ぼくたちにも何かできる。それをシリアの若者に分かってもらえるような何かを、つくりたいと思ったんだ」

「若くても自分の事業を起こして、大勢を助けることはできる」――弱冠23歳の創業者はそう強調した。すでに2つ目のベンチャーを計画中だ。

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