アメリカが夢中になった「プレイボーイ」 なぜ変わるのか

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米誌プレイボーイが女性のフルヌード写真の掲載を中止する。経営陣は、インターネットによってヌード写真がもはや時代遅れになってしまったからだと説明する。プレイボーイは62年間にわたりアメリカの文化に多大な影響を与えてきたが、自らの伝統と決別しようというのだ。

プレイボーイは成人男性向けグラビア雑誌だ。1953年の創刊以来、毎月必ず、折りたたみ式の女性のフルヌード写真があった。

プレイボーイはこれまで、名だたるセレブを次々と口説き落としてきた。マドンナ、シャロン・ストーン、ナオミ・キャンベルは人気絶頂期に撮影したし、バニーガール姿でポーズをとるケイト・モスが表紙を飾ったこともある。リンジー・ローハンやパメラ・アンダーソンも誌面に登場した。

プレイボーイは、性差別的で女性の品位を傷つける雑誌だと一部の人の怒りを買ったかもしれないが、ヌードなしのプレイボーイなど、かつては考えられなかっただろう。

しかし2016年3月にはそれが現実となるのだ。ニューヨーク・タイムズ紙によると、スコット・フランダーズ最高経営者(CEO)はいまやクリックひとつで思いつく限りのあらゆる性行為がただで見られるようになった。この期に及んでヌード写真はもはや時代遅れだ」と話したという。

プレイボーイは誌面が刷新されても「絶世の美女のセクシーで魅惑的な写真を掲載していく」方針ではあるが、フルヌードは姿を消すことになる。

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Image caption 60周年記念号の表紙を飾ったケイト・モス
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Image caption 1953年12月の創刊号の表紙はマリリン・モンローだった

プレイボーイ世代のアメリカ人男性にとって、思春期の寝室や庭の物置で味わう後ろめたいスリルは大人への通過点であり、文化的な現象だった。アメリカのセックス革命の火つけ役ともなった文化現象は、これを機に終わりを告げる。

プレイボーイの創刊者で編集長のヒュー・ヘフナー氏は、当初からフルヌードにこだわってプレイボーイを創刊した。創刊号の表紙と見開きがマリリン・モンローだったのは有名で、ヘフナー氏はプレイボーイ創刊の狙いを隠しだてしなかった。

「もし君が18歳から80歳の男性なら、プレイボーイは君にぴったりだ」とヘフナー氏は創刊号に書いた。「最初からはっきりさせておきたい。プレイボーイは『家族向け雑誌』じゃない。もしあなたが誰かのお姉さんや妹さんか、奥さんや義理の母親で、間違ってこの雑誌を手にとったのだとしたら、すぐに大切な男性に渡して。あなたには『レディース・ホーム・コンパニオン』がぴったりですよ」

ヘフナー氏は「遊びの手引き」を作りたかったのだとも書いている。

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Image caption ヒュー・ヘフナーさんと3番目の妻で「今月のプレイメイト」だったクリスタルさん

「最近のほとんどの『男性誌』は激しくアウトドア派だ。とげだらけの茂みをくぐりぬけたり、急流で水遊びをしたり。でもプレイボーイはカクテルを作るのが好きだ。オードブルをちょっとばかり用意して、ちょっとムードのある音楽をかけて、知り合いの女性を部屋に招いて、ふたりで静かにピカソやニーチェ、ジャズやセックスについて語り合って楽しむんだ」とヘフナー氏は書いた。

1冊50セントで売られた5万冊の創刊号は飛ぶように売れた。

ドイツの出版社タッシェンの編集者で、男性誌の歴史6巻本の著者でもあるダイアン・ハンソンさんは、第2次世界大戦終戦後の消費者の新しい志向をヘフナー氏が上手に汲み上げたのだと指摘する。

「アメリカは戦争の傷が比較的浅くて、ヨーロッパほどの痛手は負いませんでした。多くの若者は実際の戦闘は経験しなかったけれども、いろいろと冒険して、欧州のヌード文化を体験してきたので、帰国しても前とは違う何かを求めていたんです」

「プレイボーイはヌードを掲せた初めての雑誌ではありません。でもプレイボーイは、ほとんどの男性とは縁遠いヘミングウェー的なマッチョなライフスタイルを紹介するのではなく、むしろプレイボーイになるのに武骨でタフな男になる必要はないと、ガリガリに痩せた知的な男たちを取り上げたんです。オタク流のセクシュアリティーで、まさにヘフナーさん自身の女の子を口説き術だったんです」とハンソンさんは言う。

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Image caption プレイボーイのこのロゴマークは、わずか10分で出来上がったと言われている

プレイボーイ全盛期の読者は、載っている小説や記事が目当てなんだともっともらしく言い訳することもできた。

プレイボーイは、ジャック・ケルアックやジョセフ・ヘラー、村上春樹やマーガレット・アトウッドなど、名だたる作家の作品を掲載した。歌手のフランク・シナトラや公民権運動活動家のマルコム・X、ジミー・カーター米大統領など文化的、あるいは政治的に影響力のある著名人もインタビューした。

とはいえ、ヌードは常にプレイポーイの大きなセールスポイントだった。望んで載りたがる女性有名人も大勢いたし、説得されて登場した女性有名人も大勢いた。

「とても素晴らしい写真もいくつもあって、ポップカルチャーの象徴になったものもあります。白い網を着たナオミ・キャンベルとか。アメリカの女優ボー・デレクとか」とハンソンさん。

「エスクァイア誌がプレイボーイの雛形でした。ただ、エスクァイアには女性のグラビア写真はありましたが、ヌードは載せていなかった。ヘフナーさんは基本的に先輩たちが作った雑誌を若者のニーズに合うように仕立て直し、そして一歩先を行ったんです」とハンソンさんは説明する。

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Image caption 1971年10月号の表紙を飾ったダリーン・スターン
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Image caption 2015年10月の大学特集号の表紙

プレイボーイの発行部数は1972年のピーク時には716万部を超え、1970年代のアメリカでは男子大学生の4人に1人が読んでいたとされる。プレイボーイは文字通り、一世代のアメリカの若者にセックスの手ほどきをしていたのだ。

プレイボーイ誌の成功によって、プレイボーイ的ライフスタイルが出現した。そしてそのおかげでヘフナー氏はプレイボーイマンションを建て、バニーガール姿のウエイトレスがカクテルを運ぶプレイボーイクラブやプレイボーイグッズを次々と作ることができた。

その後フェミニズム運動の台頭で、プレイボーイが女性を物扱いしているという非難の声が上がった。アメリカのフェミニストでジャーナリストのグロリア・スタイネムさんはニューヨークのプレイボーイクラブに潜入して働き、1963年のウエイトレスたちが置かれていた状況を「プレイボーイクラブ潜入記—新・生き方論」で明るみに出した。

とはいえ女性が「自分を見せびらかす」には、プレイボ−イ誌はまともで、むしろ望ましい場所だったとハンソンさんは言う。「お金のない女の子が自分を展示できる場所、おばあさんだって認めてくれるような場所でした」。

プレイボーイ誌の登場はさらに、女性誌の新時代をも先導した。コスモポリタンは1972年に男性俳優バート・レノルズのヌード写真を見開きにして、話題をさらった。また、1973年の6月にはプレイガールの創刊号もお目見えした。

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Image caption コスモポリタン誌に載ったバート・レノルズのフルヌード

アメリカではプレイボーイよりさらにわいせつ度の高いハスラーやペントハウスといったライバル誌も間もなく登場し、マキシムやスタッフ、FHMといったいわゆる「ラッドマグ」と呼ばれる男性誌も追随した。

しかし、インターネット時代の到来でポルノがさらに簡単に見られるようになる。そしてプレイボーイは、自分たちの発行部数が現在の80万部に落ち込んだのは、インターネットのせいだとしている。

プレイボーイ社の売り上げの中心はもはやヌード写真ではなく、代わりに商品ロゴのライセンス契約で利益を確保している。

プレイボーイのウェブサイトはすでにヌード写真を載せていないが、閲覧数は以前の4倍に達しており、経営陣は刷新後の雑誌もオンライン版と同じように成長していくことを期待している。

しかし、どうなるかはまだわからないとハンソンさんは言う。「新しいファッションリーダーがレトロな雑誌をビニールのレコード盤みたいに復活させない限り、ヌード写真のないプレイボーイの今後はなかなか厳しい」。

(英語記事 Why America loved Playboy

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