控えめな印象の奥に不屈の意志 台湾初の女性総統

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Image caption 元法学教授は台湾の歴史に名を刻んだ。写真は、選挙中に支援者に手を振る蔡英文氏(1月14日)

かすかに背を丸めた姿勢と、控えめな物腰。59歳の蔡英文氏は一見、中国に脅威をもたらす人物とは思えない。

しかし台湾の次期総統に選ばれたこの女性は、「台湾の将来は台湾人が決めるべき」との強い信念を持つ。これは中国に真っ向から逆らう主張だ。中国は今でも台湾を統一すべき対象とみなし、必要とあらば武力行使も辞さない構えを示している。

蔡氏が台湾の主権問題で厳密にはどのような立場を取り、次の一手をどう打つのか。中国はそこを読み取る必要がある。蔡氏自身はこれまでのところ、明言を巧みに避けてきた。

蔡氏は中国にとって謎めいた存在だが、多くの台湾人にとっても得体の知れない力を秘めた、予測しにくい人物だ。

自分はスポットライトを避けて壁際を歩いていたいタイプだと語り、政界の階段を駆け上ってきた来歴を「偶然の人生」と振り返る。

蔡氏は台湾で初の女性元首となるが、ほかのアジア諸国でトップに上り詰めた女性たちと違って政治家一族の出身ではない。

父親は4回結婚。4人目の妻が蔡氏の母親だ。11人きょうだいの末っ子で、両親と多くの兄姉に囲まれた裕福な家庭に育った。

父は自動車修理業と不動産投資で成功していたが、蔡氏には広く社会に触れるため、公立学校へ通わせた。

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Image caption 選挙中の蔡英文氏

蔡氏は30歳になるまで、学問の道を追及していた。

国立台湾大学の法学部を卒業した後、米コーネル大学で法学の修士号、英ロンドン大学経済政治学院(LSE)で博士号を取得し、後に法学の教授になった。

専門分野と英語力を見込まれて、1990年代には台湾の世界貿易機関(WTO)加盟交渉で法律顧問を務めることになる。

蔡氏はこうして、公職の世界へと一歩を踏み出したのだった。

中国本土との「小三通」

李登輝政権で国家安全保障担当の顧問役に就いた蔡氏は、李氏が提唱した中台「二国論」の策定に尽力した。中国との関係を「国と国の関係」と位置付けたこの表現は、中国側の強い反発を招いた。

次に就任した陳水扁総統の下、中台関係は最悪の状態に陥ったが、蔡氏は行政院大陸委員会のトップとして中国との協力関係を模索。そして2001年、中国本土と台湾の離島の間で直接の通商など「小三通」を解禁するという画期的な成果を上げた。後には、中台間初の直行チャーター便開通に向けて尽力した。

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Image caption 台湾のWTO加盟交渉に参加

対中開放路線の行き過ぎも懸念されるなか、2003年にはさらに陳総統や立法委員(議員)らを説得し、台湾企業による中国への投資を合法化する法改正を実現させた。

当時、蔡氏と緊密に協力した元経済部長(経済相)の何美玥氏はこう語る。「人々が必要としていることであり、もともと非合法的には行われていることなのだから、政府は法律を作ってそれを合法的にできるようにするべきだ、というのが蔡氏の考え方だった」

「濃い緑」ではない党主席

蔡氏を知る人々は、同氏を実際的で臨機応変、そして合意形成のこつを心得た人物だと評価する。

「先頭に立って舞台に上がるタイプではないが、いったん会議の席に着けば主導権を握るのは彼女だ」と何氏はいう。

ただ台湾独立をめぐる蔡氏の立場は、周囲の人々にもはっきりとは分からない。

蔡氏のこれまでの歩みについて本にした専門家、チャンジンウェン氏は「反中派ではないし、緑色(独立を志向する民進党のシンボルカラー)が濃い人でもない。台湾の独立を支持すると発言したことは一度もない」と指摘する。

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Image caption 民主進歩党(民進党)の支持者たち

しかし一方で、台湾の民主主義を大事に思っているのははっきりしている。2008年に深刻な危機に陥っていた民進党のトップを引き受けたのも、民主主義には強い野党が不可欠との信念からだった。

当初はしぶしぶ政治に足を踏み入れた同氏が、その運命を進んで受け入れるまでに至った理由はなにか。答えを示唆するエピソードとして、蔡氏は最近の著書でとある出来事を紹介している。年配の飲食店員が自分の1カ月分の給与2万台湾ドル(約7万円)を全額、民進党に寄付したことについて、蔡氏はこう書いている。

「決して忘れません。彼女はお返しに何もいらない、ただ台湾の主権を守れるよう民進党に助けてもらいたいと言いました。自分はずっと台湾人でいたいと」

何より大事な中国

蔡氏が今後、台湾の独立を強く求めていくと予想する人はほとんどない。ただし同氏はこれまで、中国や与党・国民党からの強い圧力にもかかわらず、中国側が主張する「一つの中国」の原則を受け入れてこなかった。中国は、将来的な中台関係の基盤はこの原則しかありえないという態度だが、1992年時点の中台はこの原則を認めつつ解釈は相手に委ねることで合意した。中国側は、台湾と本土を合わせて一つの中国だと解釈している。しかし民進党は92年合意の存在自体を否定してきた。

一方で蔡氏は、民進党のそうした立場だけでなく、かつての自身の主張からも距離を置くようになっている。中国が今後も台湾にとって何より大事な国であり続けること、そして不安定な輸出状況で台湾が中国との経済協定を切実に必要としていることを、蔡氏は誰より承知しているはずだ。

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Image caption 蔡氏は独立について明言していない。写真は投票後の蔡氏(1月16日)

国立政治大学の政治学教授、寇健文氏は蔡氏の柔軟性について、「彼女はイデオロギーの強い人物ではないと思う。とても頭の良い人だ」と話す。

それを裏付けるように、選挙期間中に中国のネット利用者が蔡氏の「フェイスブック」ページに何万件もの批判を書き込んだのに対し、蔡氏はただこう返した。「今回の貴重な機会を通じて私たちの『新しい友人』が、民主主義と自由、そして台湾の多様性について、全体像を把握できるように願っています。フェイスブックの世界へようこそ!」

深いルーツ

皮肉なことに、蔡氏は中国側にとって、現職の馬英九総統よりも好都合な相手になるかもしれない。馬氏は両親が中国本土出身で、親中路線の国民党を率いているため、台湾では不信感を抱く人もいる。だが蔡氏が署名する協定なら、反発を招く可能性は低い。

蔡氏の親族には台湾のさまざまな民族が交じっていて、先祖は代々台湾人だ。そのおかげもあって有権者の信頼を獲得できた。父は客家(ハッカ)系、母はホーロー系、父方の祖母は先住民族のひとつ、パイワン族の出身だった。

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しかし中国の信頼を得られなければ、在任中は中台関係がこう着状態に陥ってしまう可能性もある。中国側が政府間交流を縮小したり断ち切ったりする可能性もある。再び緊張が高まって近隣諸国の懸念を招き、台湾防衛支援の法的義務がある米国と中国との関係に影響が及ぶことも考えられる。

蔡氏の著書には、同氏の信条の手掛かりとなる一節がある。ドイツの社会学者マックス・ウェーバーの言葉を引用し、政治を堅い板に力強く、ゆっくりと穴を開ける作業に例えてこう書いている。

「理想を実現するためにはさらに忍耐強く、着実に、実践的に、そして正確にやらなければならない。これが私の流儀です」

(英語記事 Taiwan's first female leader, shy but steely Tsai Ing-wen

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