日本とクジラ なぜ日本は捕鯨をするのか

  • 2016年02月9日

ルパート・ウィングフィールド=ヘイズ、東京特派員

千葉県の港町で鯨肉を処理する漁協関係者(2009年7月) Image copyright Getty Images
Image caption 千葉県の港町で鯨肉を処理する漁協関係者(2009年7月)

捕鯨は、日本の食料確保になんら影響がなく、世界からは激しく非難されている。もちろん経済的な理由もない。それでも日本が捕鯨をするのはなぜか。

日本政府の答えは、捕鯨が日本の伝統文化に基づくもので、日本の漁師は何百年にもわたってクジラを捕獲してきたし、何を食べていいか悪いかを外国人に指図されるいわれはない、というものだ。

ある政府高官がかつて私に「日本人はウサギは絶対食べない。だからといって英国人に食べるなとは言わない」と語ったことがある。なので私は、ウサギは絶滅危惧種とは言えない、と指摘しておいた。

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Image caption 反捕鯨運動は長年続けられてきた

それでも、政府の言い分に理がないわけではない。

海岸地域に住む多くの日本人が何百年も捕鯨を行ってきたのは確かだし、今も続けられている。和歌山県太地は毎年のイルカ漁で有名だ。有名どころか、悪名高いと言う人もいるかもしれないが。千葉県や東北の石巻などでも沿岸捕鯨が行われている。

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Image caption 鯨肉のカレーを提供して捕鯨をアピールする国会議員たち

なので、確かに沿岸捕鯨は日本文化の一部だ。ノルウェーやアイスランド、カナダ北部の先住民イヌイットたちと同様に。しかし、地球の反対側の南極まで船団を送り、捕獲したクジラを処理する母船まで持っているのは日本だけだ。

南極での捕鯨に歴史的な要素は全くない。日本が南極に捕鯨船を初めて派遣したのは1930年代半ばだが、第2次世界大戦が終わるまで大規模な捕鯨は行われていなかった。

日本は焼け野原となり、国民は飢えていた。ダグラス・マッカーサー元帥の勧めもあり、日本は米海軍のタンカーを改造して捕鯨船2隻を作り、南極海に向かった。

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Image caption 処理されたばかりの鯨肉

1940年代末から60年代半ばまで、日本の最も主要なタンパク源は鯨肉だった。1964年には史上最多の2万4000頭以上を殺した。そのほとんどが巨大なナガスクジラやマッコウクジラだった。

今や豊かになった日本は、オーストラリアや米国から食肉を輸入することができる。商業的な遠洋捕鯨は行われていない。いま南極で実施されている捕鯨、日本政府が言うところの「調査捕鯨」は国民の税金でまかなわれている。

日本はさらに捕鯨を正当化するため、調査するには毎年何百ものクジラを殺さなくてはならないのだと説明する。しかし、国際司法裁判所(ICJ、オランダ・ハーグ)はその言い分をひとつひとつ徹底的に突き崩してきた。ICJは2014年に、日本が南極でクジラを「殺すことによって研究」するのは、科学的調査にあたらないとの判断を下し、日本政府に停止を求めた。

日本は1年間、中止した。しかし昨年には捕鯨船の派遣を再開。規模を縮小した新たな捕鯨計画はICJの要求を満たしているというのが日本の説明だったが、それを信じた人はほとんどいない。

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Image caption 和歌山県太地沖で(2009年)

フリージャーナリストの佐久間淳子さんは、過去10年間にわたって日本の捕鯨について調べてきた。環境保護団体グリーンピース・ジャパンで働いたことがある佐久間さんは、「捕鯨は日本にとってメリットがない。(中略)しかし、誰も止めることができないでいる」と話す。

佐久間さんの取材は、にぎやかなことで有名な築地市場で行った。早朝のマグロのセリで知られる世界最大の魚市場だ。

築地にある何千もの卸業者のうち、鯨肉をまだ扱う業者は2軒しかない。

市場の一角で、ミンククジラの肉を見つけた。赤黒く、血がしたたる巨大なかたまり肉がいくつかあった。隣りには、もっと明るい色をした、横長に切り出されたナガスクジラの肉が2つ。ナガスクジラは絶滅危惧種としてワシントン条約(CITES)で国際取引が禁止されている。

日本の捕鯨文化 消えゆく運命か

景気は良くないと卸業者は話す。昨年は南極でクジラを取らなかったので、ミンククジラの肉も少なかったという。

もし鯨肉が足りないのなら、価格は上がるのではないか。佐久間さんによると、そうはならないそうだ。「実際のところ、ほとんどの日本人が鯨肉を食べない」と佐久間さんは話す。「消費量は長年減少し続けて」いて、「鯨肉の量が減ったとしても価格は上がらない」のだという。

佐久間さんの調査によると、2015年の日本の鯨肉消費は1人当たり、たった30グラムだった。

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Image caption クジラの肉のカルパッチョ
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Image caption アイスランドの捕鯨活動

もしクジラを食べることが日本文化の大切な一部だとしたら、食べる人がなぜそんなに少ないのか。

20年来の友人の加藤悦男さんに聞いてみた。長い付き合いの中で時折、彼に鯨肉を勧められたことがある。彼は捕鯨船が母港とする下関に近い、北九州市の出身だ。

風俗店が並ぶ悪名高い繁華街、東京・新宿の歌舞伎町の奥まった場所にあるこじんまりとした店を訪れた。天井にはとても大きな、そしてやや古ぼけた、クジラのペニスの剥製がぶら下がっている。壁にはクジラの写真が貼ってある。

一皿目は刺身だ。店の主人はさまざまな珍味を教えてくれる。鯨肉ステーキから心臓、舌、生のクジラ皮まで。

気分が悪くなるが、勇気を出す。慎重に、生のクジラの肉を口に入れる。野性味のある強い風味があり、噛みごたえがあって筋も多い。次は舌だ。塩味が強く、魚の匂いがする。加藤さんは心臓も食べてみろと言うが、丁重に断った。

「子どもの頃は毎日これを食べていた」と加藤さんは話す。「肉と言ったらクジラのことだった。牛肉も豚肉もどんなものか知らなかった。ステーキはクジラのステーキ、ベーコンはクジラのベーコンのことだった」。

もし日本が捕鯨を止めたら悲しいかと問うと、加藤さんは微笑みながらゆっくり首を振った。

「捕鯨は必要じゃない。牛肉を一度食べたら、クジラの肉はもう食べなくていい」

店にいた客はみな中年のサラリーマンだった。クジラの肉を食べて50年前の給食を懐かしむ人たちだ。

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Image caption 捕鯨母船の前を行くグリーンピースのボート(2001年12月)
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Image caption 捕鯨船に体当たりする反捕鯨団体「シーシェパード」の船(2013年2月)

そして再び、最初の問いに戻る。なぜ日本は捕鯨を続けるのか。

私は最近、日本政府高官の内輪の懇談会に出席した。今季の捕鯨船派遣はすでに発表されていた。なぜ自分が捕鯨の必要性に納得できないのか、かいつまんで話し、答えを求めた。答えは驚くほど率直だった。

「私も同じ意見だ」と高官は言う。「南極海の捕鯨は日本文化の一部ではない。国際的なイメージがとても良くないし、鯨肉に対する商業的な需要もない。あと10年もすれば、遠洋捕鯨は日本から姿を消すだろう」。

「それならなぜ今止めないのですか」。同席していた別の記者が尋ねた。

高官は「今は止めにくい、重要な政治的理由がある」と述べただけで、それ以上語らなかった。

前出の佐久間さんは、日本の捕鯨は政府が行っていて、研究予算や毎年の計画、出世や年金がかかった官僚の大きな構造が作り上げられているのが理由だと考えている。

佐久間さんは、「官僚は自分がトップを務めている間に担当者が削減されたりするのは、非常に恥ずかしいことだと感じる」と指摘する。

「そのため官僚はほぼ全員、捕鯨関連の部署をどんなことをしても維持しようとする。政治家もそうだ。自分の選挙区が捕鯨との関わりが強ければ、商業捕鯨の再開を約束するだろう。議席を守るために」。

とても陳腐に聞こえるかもしれない。しかし、日本が捕鯨を続ける決意が固いのは、捕鯨関係者が多い選挙区から選出された数人の国会議員と、予算を失いたくない数百人の官僚たちのせいと言えるかもしれないのだ。

(英語記事 Japan and the whale

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