【リオ五輪】ヒジャブとビキニでビーチバレー 文化衝突の姿かそれとも

Doaa Elghobashy and Kira Walkenhorst Image copyright EPA

英紙ロンドン・タイムズは「文化の衝突」と呼んだ。英紙デイリー・メールは、「すっぽり隠す派」と「隠さない派」の間の「大きな文化的分断」と書いた。そして英紙サンにとって、文化の隔たりは「大きい」だけに留まらない「巨大」なものだった。

リオ五輪で7日、女子ビーチバレーでエジプトとドイツが対戦した際、エジプト選手は肌を覆い、ドイツ選手はビキニ姿だった。その対照的な姿の写真に、インターネットは大きく反応。一部の人は違いに注目したが、共通点に注目した人たちもいた。

「ヒジャブ対ビキニはさておき、そもそもどちらもオリンピックで女子ビーチバレーに出場しているのだから、これがいったいどれほどの『文化の衝突』だというのか」と、コラムニストのベン・マッチェルさんはツイートした。

CNNのビル・ウィア記者は、「オリンピックのロールシャッハ・テスト」と呼び、「文化の衝突が見える? それとも色々なものを結びつけるスポーツの力?」と問いかけた。

オックスフォード英語辞典によると、「文化の衝突」とは「(2つの)異なる文化が関わり合うことで生まれる対立や不協和音」を意味する。

コパカバーナの砂浜に、そうした対立や不協和音は何もなかった。ただし、ソーシャルメディアでの反応は「カルチャー・ショック」と呼んでも良いものだった。つまり、「慣れない文化や生活様式、風習にいきなり直面した際に感じる違和感」のことだ。

2012年五輪の前まで、女子ビーチバレーの選手はビキニ(おしりの部分は高さ最長7センチ)かワンピースの水着の着用が義務づけられていた。セクシーな競技に見せようとする意図があからさまなルールだという意見もあった。

これについて豪スポーツ・コミッションは国際バレーボール連盟(FIVB)に、「技術的な理由も競技上の理由もプレーを良くする意味もなく、ただ選手の体に注目を集めることだけを目的としたユニフォーム」について抗議している。

2012年以降、女子はショーツや長袖、ボディスーツの着用が認められるようになった。ロンドン大会では英国ならではの気候ゆえ、ブラジルをはじめとする各国選手は肌の露出が少ないウェアを選んだ。

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Image caption 2012年ロンドン五輪の米国チームとブラジルチーム

とはいえ、エジプトのドアア・エルゴバシ選手は、五輪ビーチバレーで初めてヒジャブをつけてプレーする選手になった。リオ五輪直前になってFIVBがやっとヒジャブを認めたのだ。

「10年間、ヒジャブを着続けている。大好きな何かがそのせいでできなかったことはないし、ビーチバレーもそのひとつだ」とエルゴバシ選手は話した。

ペアを組むナダ・ベアワド選手は髪を出したまま出場した。

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Image caption ドアア・エルゴバシ選手とナダ・メアワド選手
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Image caption エルゴバシ選手はヒジャブのほかに、愛国的なマニキュアをしていた

いくつかのツイートが、激しい論争のきっかけとなった。

人権団体「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」のアンドリュー・ストレーライン氏が「この写真のどこが変? (ヒント・なにも)」とツイートしたところ、大勢が「そうは思わない」とコメントをつけた。

一方で米政治研究者のイアン・ブレマー氏は、「社会の規範がなかったとして、自分が本当に着たいウェアを着ているのはどちらのチームだろう」と問いかけて、「パッと見には分からない」と付け足した

ブレマー氏のツイートにコメントした人の中には、ヒジャブそのものが受け入れにくいという人もいた。他方では、スポーツ競技で女性の体を見せ物にする発想に違和感を覚えるという人もいた。

ちなみに男子ビーチバレーのウェアは、ボディスーツとビキニの中間的なもので、シングレット(袖なしボディスーツ)とショーツだ。帽子をかぶる選手も多い。

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この記事の英語版がBBC.comに掲載されると、たちまち多くのコメントが寄せられた。その一部を紹介する――。

「いかに女性スポーツ選手の体が、世間のものだと思われているかを表していると思う。見せるべきにしろ、見せるべきでないにしろ、どちらにしても、決めるのは選手自身ではなくて、競技委員会や国や属する社会の文化だったりする」 独シュツットガルト、リッサ・ペルツァー

「間違いなく文化の衝突だった。『オリンピック精神の表れ』じゃない。ビーチバレーなんだから。女性はビーチで水着を着るものだ。ユニフォームが水着なのは当然だ。もしユニフォームを選ぶのが国際オリンピック委員会(IOC)なら、確かに『オリンピック精神の表れ』だと言えるかもしれないが。男子のユニフォームについては、水着しか着ていない男子選手の姿は珍しくない。ビキニよりもトランクスの方が体を隠すというのは、社会規範の産物だ(女子はこれを着て、男子はこれを着るというのは)」 米ペンシルベニア州、グレッグ・ジャドコウスキ

「ビーチバレーの男子のウェアに比べて、女子がビキニを着なくてはならないのは、見ていてなんて馬鹿げているんだろうといつも思っていた。どうして男子もビキニパンツを履かないの? 性差別です。どうして女子がタンクトップとショーツではいかないの? またムスリムの選手が全身をすっぽり覆ってヒジャブをつけなくてはならないことについては、ひたすら気の毒に思う。すごく暑いはずで。熱中症にならないのかな?」 米国、キャロリン・ムーア

「片方の女性たちは頭のてっぺんからつま先まで、すっぽり覆われている。もう片方の女性たちは裸同然で、同じ競技の男性たちより着ているものが少ない。女性が性的対象として存在するのを止めて、周りが女性を性的対象として見るのを止めない限り、平等などありえない」 英ブライトン、フリーダ・ジョーンズ

「どうしてこれがこれが文化の衝突なの? どちらの女性も、FIVBの規定に沿って、自分が着たいものを選んで着ている。よりによって今のこの時代、ファッションに注目するのでなく、競技を楽しむべきでは? この写真を不快に思う人がいるとは思えない」 ハミルトン、サマンサ・ガルブレイス

「スポーツはすべてのものを均一にする。この写真はそれを表している。人種や肌の色、信条、宗教を問わず、すべての選手はスポーツという同じ地平に立って競技する。ただそれだけのことだ。選手が何を着るかにだけ注目して違いを強調したがる人は、今の世界の多様性について自分がいかに無知かを露呈しているだけ。そろそろいい加減に、あらゆるものを受け入れる心で世界を見るべき。違うところを探しだして悪用して分断を作り出すのではなく」 英カッスルダグラス、フィオナ・ハリス

「女性が大好きなスポーツに参加して、最高のプレイができる最適のスポーツウェアを選んでいるのだから、いいことずくめじゃないですか。男性が自分たちの楽しみのために決めるくだらないルールに、女性はどんどん背いた方がいい。宗教上の理由であれ、実際に便利か不便かの理由であれ。抵抗すればするほどいい」 英ロングイートン、ミシェル

「ここで問われるべきはむしろ、両方の女子が、自分が着るものを自分で選べられるかどうかだと思う。ロンドンではブラジル選手たちは、長袖にズボンを選べた。エジプトの選手たちはビキニを選べるのか?」 独ハイデルベルク・ジャンルカ・デ・ロレンツォ

「どちらの服装にも何の問題もない。『伝統的』な水着が下品でスポーツを性的なものにしているとも言える。となれば、肌を覆う方が上品で、人の体ではなく試合に集中できる。保守的な服装は、大勢を抑圧しているのではなく、すべての人に敬意を示している」 英ギリンガム、ナキブ

「日頃の暮らし方がどう違っても、一緒になってスポーツを友情を楽しむことができるという写真だと僕は思う」 英オックスフォード、ピート

「文化の衝突ではまったくなくて、この世界がいかに美しくて多様なところかあらためて教えてくれる写真だ。2012年まで女子がビキニ着用を強制されていたと知って、すごくショックを受けている。バレーボールは未だに、ワクワクする高度なスポーツだというよりも、女性の体の見た目を重視しているみたいだ」 英ベッドフォードシャー、アデレード

「文化の衝突じゃない。単なる文化の違い」 アゼルバイジャン、スレイヤ

(英語記事 Volleyball in a hijab: Does this picture show a culture clash?

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