【米大統領選2016】ドナルド・トランプ――アメリカン・ドリームを体現か

経済界エリートの一員だが、それでもアウトサイダーとみられている。何十億ドルもの資産を持ち、マンハッタンのかなりの部分を保有し、自分の大統領選費用を私費でまかなっているが、それでも低所得のブルーカラー労働者の間で人気が高い。

アメリカ人の多くにとって、ドナルド・トランプは新鮮な涼風のような存在だ。そして多くのアメリカ人は、世界の安全を危険にさらす驚異だとみている。ニューヨーク郊外出身の若者は、どうやって強力な不動産王となり、そしてホワイトハウスを目指す共和党候補になったのか。(文中敬称略)

○ 1946年6月14日 ニューヨーク市クイーンズ地区で誕生

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Image caption ニューヨーク・クイーンズにあるドナルド・トランプの子供時代の家

ドナルドは戦後ベビーブームの絶頂期、クイーンズ・ウェアハム通りに建つチューダー様式風の邸宅に生まれた。不動産業は家業だった。

父フレッド・トランプは、叩き上げの不動産業者で、運転手付きのリムジンを2台持っていた。母メアリはスコットランド移民。その父は漁師だった。

汚い言葉遣いは一切禁止の、厳格な家庭だった。裕福な家でありながら、子供たちは全員、新聞配達や夏のアルバイトで自分の小遣いは自分で稼ぐように言われた。ドナルドは反抗的な子供で、小学校では音楽教師を殴った。「音楽について何も知らないと思ったから」。

○ 1959 10代のトランプ

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Image caption 1959年に友人のバル・ミツワ(ユダヤ人男子の成人式)に出席したドナルド・トランプ(左から2人目)

13歳のドナルドの寝室で飛び出しナイフを見つけた父親は、しつけのため、厳格な軍隊式教育をほどこす学校に息子を送り込んだ。

ニューヨーク・ミリタリー・アカデミーは、規律と身体訓練を重視する厳しい寄宿学校だった。ドナルドは野球チームの主将として活躍し、「整理整頓」メダルを獲得したが、親しい友人はあまり作らなかった。

ルームメイトだったテッド・レビーンは「みんなに好かれていたが、誰とも親しくならなかった。自分を防御壁で守って、誰も近づけない感じだった」と話す。

1964年に卒業したドナルドは、すでに華やかな世界に憧れていたため、映画学校への進学を検討したが、結局はフォーダム大学に入学し、その2年後にペンシルベニア大学のワートン・ビジネス・スクールに転校した。

○ 1971 マンハッタンで成功

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Image caption 1976年にコモドア・ホテルの改修許可を得たばかりのトランプ、自宅にて

大学卒業の3年後、ドナルドはマンハッタンの3番街と75番通りの交差点近くにあるマンションに移り住んだ。

クイーンズ地区という郊外出身の若者は、マンハッタン東北部のアッパーイーストサイドではアウトサイダーだったが、大胆なビジネス手腕は多くの開発業者を驚かせた。

父親からの資金援助をもとに、複雑な取引を成立させ、42番街のコモドア・ホテルを7000万ドルで購入。崩れかけていた建物の内部を全部取り除き、完全に改修した。1980年にグランドハイヤット・ホテルとして新装開店し、大成功を収めた。ホテルの50%を保有するドナルドのもとに、利益が絶え間なく流れ込み始めた。大富豪トランプの出現だった。

コモドア・ホテル再開発の間に担当弁護士だったマイク・ベイルキン氏は「徹底したセールスマンで、自分は決して間違ったりしないと確信していた。何かについて論破されても、時がたてば本当は自分が正しかったと証明されるはずだと言っていた」と話す。

○ 1982年 トランプ・タワー建設

今ではトランプ・タワーはマンハッタンのランドマークのひとつだ。しかし建設の最中には、かなり批判された。

建設現場では、ポーランドからの不法移民が大勢働いていた。そしてニューヨーク・タイムズは、元の建物にあった貴重なアールデコの装飾を破壊したと、トランプを批判した。

しかし28の壁面で囲まれたトランプ・タワーが完成すると、落成パーティーには当時のエド・コッチ市長をはじめ700人が出席した。マジソン・アベニューには1万個の風船が放たれた。このタワー出現で、「トランプ」の名前は文字通りマンハッタンの確固たる一部となった。ドナルド・トランプは今でもこのタワーで暮らし、オフィスを構えている。

○ 1987年11月1日 取引の技

トランプの最初の本「The Art of the Deal(取引の技)邦題「トランプ自伝―不動産王にビジネスを学ぶ」が、1987年11月に出版された。自分の成功の秘訣を学ぶ機会を、読者に提供する内容だった。

ニューヨーク・タイムズのベストセラー・リストに48週間、ランキングされ続けた。そのうち13週は1位だった。この本でトランプは何百万ドルもの印税収入を得ただけでなく、ニューヨーク以外でも名声を獲得した。才能あるビジネスマンとして世界的な有名人になり、立身出世の人物というイメージが広まった。

シカゴ・トリビューン紙は書評で、「トランプは取引の名人だ。ライオンが肉食獣で水に触れると濡れるというくらい当たり前に」と書いた。

トランプ社の収入は天井知らずで、この後の数年で、トランプ航空を創業し、何百という新しい建物を造り、「トランプ・プリンセス」という自家用ヨットを購入できるだけの利益を生み出した。

○ 1990年 痛手

トランプにとって1990年代は、最初の妻イバナとの離婚で始まった。マーラ・メイプルスとの不倫が発覚したからで、離婚によってかなりの支出を余儀なくされた。

1990年代の不況がニューヨークの不動産市場をボロボロに切り刻んだおかげで、ドナルドの資産も刻まれた。利子の支払いは7割近く延滞し、1991年にはニュージャージー州アトランティックシティのトランプ・タージマハールが経営破綻した。1992年にはトランプ・プラザも倒産し、ビジネスの天才という評判にミソが付いた。

巨額の負債を抱えたドナルドはある時、通りにいるホームレスの男性を指して、自分の方が9億ドル分も貧乏だと主張したこともある。

○ 1997年 ミス・ユニバースと敗者復活

1990年代初めには苦境が続いたが、立場を立て直すためにトランプは大胆な手に打って出た。

ヨットとトランプ航空を売却した後、ミス・ユニバース事業(ミスUSAとミス・ティーンUSAの美人コンテストも含まれていた)を購入し、大衆芸能に予想外の進出を果たした。

トランプは2016年に、「ミス・ユニバース」を成功させた秘訣について、「水着はどんどん小さくなって、ヒールは高くなって、視聴率はどんどん上がっていった」と話している。

資金難を2冊目の本「The Art of the Comeback(カムバックの技)」(邦題「敗者復活」)で取り上げ、そこから利益を生むことに成功した。2冊目のベストセラーでは、借金をどうやって乗り越えたかほかに、1993年~1997年にかけて2人目の妻マーラ・メイプルズと過ごした短い結婚生活と、2人目の娘ティファニーなどについて書いている。

○ 1999年6月25日 父親死去

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Image caption ニューヨークのプラザ・ホテル外でドナルド・トランプと父フレッド・トランプ(1988年)

父フレデリック・クライスト・トランプは1999年6月25日、93歳で亡くなった。遺産総額は2億5000万ドル~3億ドルに上った。

葬儀には650人が参列。ドナルドは、今までで一番つらい経験だと話した。

ケネディ元大統領の息子が追悼の手紙を送り、「自分がどういう状態にあったとしても、親を失うと、自分は変わるものだ」と助言した。

これに先立ちドナルドの兄フレッド・ジュニアは1981年に、アルコール依存症で亡くなっていた。その家族は遺産を相続できず、厳しい状況に置かれていた。

○ 1999 改革党

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Image caption 改革党の展望についてMSNBCのクリス・マシューズに話すトランプ

今回の大統領選の以前にも、トランプはホワイトハウスを目指していた。

1999年には、2000年大統領選に改革党から出馬しようと精力的に動いていた。副大統領候補には人気司会者オプラ・ウィンフリーを希望していた。

政策としては、財政赤字削減のために超富裕層に税率14.25%を一度だけ課し、同性愛者差別を禁止するため1964年公民権法を改正し、法人税引き上げを財源に国民皆医療保険を実現するなどと主張していた。

しかし、改革党の内部対立が「まったくひどいことになってる」と、2000年2月に撤退した。

撤退を表明した手紙でトランプは「今の改革党には、(白人至上主義団体)KKKの(デイビッド)デューク氏と、ネオナチの(パット)ブキャナン氏と、共産党員の(レノラ)フラニ氏がいる。この人たちの仲間だと思われたくない」と書いていた。

○ 2004年1月8日 アプレンティス

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Image caption 「ジ・アプレンティス」の放送開始に先駆けてトランプ・タワーに横断幕が張られた

21世紀が始まると、テレビプロデューサーのマーク・バーネットがトランプに新しい番組のスタイルを提案した。ドナルドに雇ってもらえるかを出場者が競い合うという大胆なアイディアだった。

NBCテレビのこの番組「ジ・アプレンティス」を通じて、トランプ社は憧れの働く場所で、トランプは賢い企業人だというイメージが広まった。大富豪トランプは司会者およびエグゼクティブ・プロデューサーとして、さらに多額の報酬を得た。

第1シーズンのフィナーレは、スーパーボウルに次いでその年の最高視聴率を獲得。2007年にはハリウッドの「ウォーク・オブ・フェイム(名声の通り)」に名前入りの星が埋め込まれることになった。

○ 2005年5月23日 トランプ大学

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Image caption トランプ大学の開校を発表するトランプと、マイケル・セクストン学長

3度目の結婚からわずか4カ月後に、トランプ大学をスタートさせた。

2005年の広告でトランプは「私のところで学べば、誰でも不動産投資で成功できる。あなたも」と呼びかけていた。

一般市民に不動産業の「学部および大学院レベルの履修課程」を提供し、トランプの成功の秘訣を教示するとうたわれていたが、複数の学生がこれは詐欺だと提訴したため、事業は打ち切られた。

ニューヨーク州司法長官の事務所は、認可なしに「大学」を名乗るのは違法だと警告。事業の営業担当だったロナルド・シュナッケンバーグは正式に、「詐欺だ」と認めている。

○ 2006年 スコットランドのゴルフ場

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Image caption 自分の地所がゴルフ場予定地に隣接するマイケル・フォーブスは、建設計画に反対した

トランプが英国で悪名を立てるようになった最初が、2006年。英スコットランド・アバディーンでゴルフ場を造ろうとした時のことだった。

トランプは、スコットランド出身の母親メアリを称えるためだと主張したが、地域住民や環境保護団体と衝突し、トランプにとって最も困難な不動産開発事業のひとつとなった。

地元自治体は当初、建設計画を拒否した。しかしアレックス・サモンド自治政府首相の仲立ちを受けて(建設予定地はサモンド氏の選挙区内にあった)、工事は2010年に開始。ゴルフ場は2012年に正式に開業した。

○ 2015年6月16日 大統領選出馬

トランプ・タワーで記者会見を開いたドナルドは、報道陣のいる前でメラニア夫人と共にエスカレーターで降りて、合衆国大統領を目指すと宣言した

「残念ながら、アメリカン・ドリームは死んでしまった。しかし私が大統領に当選すれば、前よりもっと大きくて良くて強力なアメリカン・ドリームを復活させる」とトランプは表明した。

自分は選挙資金を私費で賄うので、決してロビイストや資金提供者の言いなりになることはないと約束した。さらに、メキシコ移民は強姦犯で麻薬の売人だと断言。武器所持権を保障する憲法修正第2条を守り、メキシコ国境に壁を建設し、医療費適正化法(オバマケア)を撤廃し、外交との通商協定を再交渉すると公約した。

特にメキシコ移民に関する発言は批判の的となり、数週間のうちにNBCテレビ、トランプ社の商品を扱っていた百貨店メイシーズ、「ミス・ユニバース」などを放送していたスペイン語専門チャンネル「ユニビジョン」が次々と、トランプの選挙戦から距離を置く声明を発表した。

○ 2015年12月7日 イスラム教徒の入国禁止

出馬宣言の6カ月後、トランプは新たな爆弾発言を米国政治の地平に投げ込んだ。

12月7日のサウスカロライナ州での集会で、「この国の代表たちが、いったいぜんたい何が起きてるのか判断できるようになるまで、ムスリム(イスラム教徒)の米国入国を、すべて完全に停止する」よう呼びかけた。声明は、選対本部の公式サイトにも掲載された。

集会にいた数千人だけでなく、大勢の支持者がこの宣言を歓迎した。

当選したばかりのサディク・カーン新ロンドン市長は例外にすると折れたが、カーン市長はこれを拒否。「イスラムに対するドナルド・トランプの無知な者の見方は、英米両国を危険にさらす」と批判した。

○ 2016年1月19日 共和党内分裂

ドナルド・トランプの大胆不敵な出馬宣言に、共和党内の意見は割れた。

2008年の副大統領候補だったサラ・ペイリンはアイオワ州で、テッド・クルーズではなくトランプを熱心に支持すると表明。「民間出身で、政治家じゃない。みんなで『ハレルヤ!』と言いましょう」。

翌月には、ニュージャージー州知事のクリス・クリスティーも、「米国政治の教本を書き換えた」と公式に支持表明した。

しかし党内には反対も多く、2012年にオバマ大統領に敗れたミット・ロムニーは地元ユタ州のユタ大学で、トランプはふさわしくないと激しく攻撃した。

○ 2016年7月19日 共和党候補

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Image caption 共和党候補指名を獲得したトランプ(中央)と副大統領候補のマイク・ペンス(右)

7月の暑いノースダコタ州で遊説中のトランプは、自分がついに他の16人を破り共和党候補になったことを知る。共和党内から激しい批判を物ともしない、驚異的な結果だった。

副大統領候補にすると発表したばかりのインディアナ州知事のマイク・ペンスと共にその月の19日、オハイオ州クリーブランドでの共和党全国党大会でついに正式に党候補として指名された

メラニア夫人と5人の子供たちに囲まれ、「ヒラリーを刑務所に」などというプラカードを掲げた聴衆の前を前に、トランプは指名を受諾し、犯罪と不況で悲惨な状態にある米国を「また偉大にする」と約束。そのためにもメキシコ国境には約束通り壁を造ると強調した。

○ 2016年11月8日 大統領選

様々な発言や過去の行動が批判されているトランプだが、共和党予備選の間だけでも1300万人がトランプに票を入れている。またクリントンには絶対に投票しないという有権者も根強い。

ニューヨーク・クイーンズ出身の少年が、人生最大の不動産取引を成功させて、ホワイトハウスを自分のものにできるのだろうか?

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(英語記事 Donald Trump: living the American Dream?

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