パスポートに付けられた値段 地中海の島国マルタで

サイモン・トゥレット・ビジネス担当記者、BBCニュース(マルタ)

「誰もが私たちのように運がいいわけじゃない」と話すアマール・アル・サディさん
Image caption 「誰もが私たちのように運がいいわけじゃない」と話すアマール・アル・サディさん

心ここにあらずといった感じでヘッドスカーフの先を指先でいじりながら、アマール・アル・サディさん(21)はささやくよりは少し大きな声で、爆弾やがれき、それに危険な伝染病にさらされる生活からマルタが救ってくれたと話す。

アル・サディさんの家族は2年前、戦乱のイエメンから国連の避難フライトで逃れてきた。

「あんなふうに暮らしたい人なんてこの世にいないと思います」とアル・サディさんは言った。「ある日私たちが寝ていた時、近くですごく大きな爆音が聞こえました。本当に怖かった」。

「今でもイエメンに友達がいます。人々がコレラで死んでいると言います。中にはイエメンから出ようとする人もいますが、イエメンのパスポートを受け入れてくれるところが今はないのでできません」

アル・サディさんがマルタにいるのは、難民としてでも、経済移民としてでもない。アル・サディさんと両親、そして4人のきょうだいは全員、今はマルタ国民だ。

マルタで生まれたわけではないし、マルタ人の家族がいるわけでもないのに、アル・サディさんらはなぜマルタのパスポートを持っているのだろうか?

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Image caption マルタのパスポートを買うには最低88万ユーロ(約1億円)かかる

アル・サディさんらはパスポートを買ったのだ。マルタが2014年にパスポートの販売を開始して以来、数千人が同様にパスポートを購入してきた。

パスポート事業

英国を含む多くの国が、外国人に提供している永住権制度や投資家ビザとは異なり、マルタの個人投資家制度は、合格すれば完全な市民権が与えられる。

料金は最低でも88万ユーロ(約1億円)かかり、家族が1人増えるごとに金額も上がる。

金額の4分の3は、マルタの国家開発社会基金へ寄付され、返金は不可。基金は教育、健康、雇用創出などのプロジェクトに使用される。残りは、国債への投資や住宅の所有または5年以上の賃貸に割り当てられる。

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Image caption パスポートを販売する国はマルタ以外にもある

カリブ海の島セントクリストファー・ネイビスは1984年以来、市民権を販売しているが、オーストリア、ブルガリア、ハンガリー、キプロスは全て、2011年以来、独自の制度を実施している。

「21世紀の保険証書です」というのはクリスチャン・ケイリン氏。永住権および市民権に関するコンサルタント会社ヘンリー・アンド・パートナーズのトップだ。

ケイリン氏によると、新たな財源を求めようとする一部の国の政府や、中東のような地政学的な不安もあり、この分野は「急速な広がり」を見せている。

裕福な人たちは、問題や政治情勢の劇的な変化から逃れるためにこのような制度を活用できる。しかし安全保障上の懸念はさておき、多くは単に、自分の子供に機会を与えたいとか、事業をやりやすくしたいのだ。

「他国へアクセスできる可動性と個人的な柔軟性がポイントです。当社に米国人のクライアントがいますが、イタリアとオランダに2つ重要な投資を行っています」とケイリン氏は話す。

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Image caption マルタは欧州連合(EU)の加盟国であり、パスポート不要のシェンゲン圏に入っている

「その米国人は両国の労働許可証が必要ですが、マルタの市民権を取得すれば、労働許可証やその他の問題を回避できます」とケイリン氏は加える。

なぜなら、マルタは欧州連合(EU)であり、またEU内のほぼ全域をパスポートなしで自由に行き来できるシェンゲン圏でもあるからだ。これがこの制度の最強セールスポイントの一つだ。

ブレグジット(英国のEU離脱)を国民投票で決定した後、英国からの問い合わせが若干増えたが、申し込んだ人はまだいない。「英国がEUと何かしらの取り決めを見出すのは明らかです」とケイリン氏は言う。

「もし英国人が私のところに来てマルタのパスポートを買った方がいいかと聞いてきたら、いや、やめときなさい、落ち着きなさいと言うでしょうね」

マルタの市民権制度が人気なのは、比較的安価で迅速という理由もある。

申請者は通常、1年~1年半以内にパスポートを受け取れる。

不動産要件

市民権制度では、申請者は35万ユーロ(約4500万円)以上の不動産を購入するか、年間家賃1万6000ユーロ(約200万円)以上の不動産を5年間借りる必要がある。

パスポート申請者の80%以上が、賃貸不動産を選択する。しかし、多くの不動産が依然として残っているとの懸念が高まっており、マルタ人の中には、申請者の意図を疑問視する向きもある。

「こうした億万長者は、EUの権利が欲しいだけで、マルタでの暮らしなどには興味ないのです」と、マルタ人ジャーナリストのダフネ・カルーアナ・ガリジアさんは言う。「彼らは恐らく、そもそもここに足を踏み入れる気さえもないでしょうね。本当にマルタでの滞在に関心があったら、家を買うでしょう」。

マルタの中央銀行は、個人投資家制度がマルタの住宅価格を毎年約7%、賃貸価格を約10%押し上げている要因の一つになっていると指摘している。

個人投資家制度を運営するアイデンティティ・マルタの最高責任者ジョナサン・カルドナ氏は、マルタのパスポートの主要なセールス・ポイントはEUの権利が活用できることだと同意したものの、マルタ自体が魅力的な投資先だと主張する。

「マルタに7000万ユーロ(約90億円)投資した人を知っています。製薬関連の工場を開設する準備中の人もいます。それからIT企業を立ち上げた人も知っています」

「中にはまだ多額の投資をしていない人もいるかもしれませんが、数年後に何が起こるかは分からないものです」

Image caption マルタの市民権制度はマルタ経済に著しく貢献しているとジョナサン・カルドナ氏は話す

カルドナ氏は、申請者がこれまでしてきた寄付の財政的な意義を熱心に指摘する。合計で現在2億2000万ユーロ(約280億円)以上に達しており、マルタのGDPの約2.5%に値するのだ。

「彼らの富、そしてその地位に至るためにしてきたことから、彼らの足跡は多く、そのためしっかりデューデリジェンス(審査)を行えます」とカルドナ氏は話す。

「他の経済移民、特に何も書類を持たずに来た場合は、どこから来たのか、どの言語を話すかさえも分かりません」

市民権に関する議論

しかし一部の人にとって、市民権は単なる数字以上の話だ。

「パスポートは売るべきものではなく、自分が属する何かであり、自分のDNAの一部です」と言うのは、ドイツに生まれ、40年以上マルタで暮らしてきたヘルガ・エリュールさんだ。

ドイツの玩具メーカー、プレイモービルのマルタ事業(従業員1000人以上)を運営するためにマルタに越してきた。結婚し、2児の母親となり、今や3人の孫がいる。15年前にマルタ市民権に申し込んで付与された。数十万ユーロも引き渡す必要はなかった。

「ドイツのパスポートを諦めるのは簡単じゃありませんでした」と加える。

「自分はこの国に属していると、この国に残るだろうと強く感じたから決意したんです。こちらの方が友達もずっと多いし、私自身こちらでとても認められているし、この社会全体の一部だし。マルタの人に聞けば、誰もが私の努力のたまものだと言うでしょう」

Image caption ヘルガ・エリュールさんはマルタ人になるためにドイツ市民権を手放した

だが、市民権に対してどのような権利を主張できるのだろうか。結局のところ、私たちの大半はたまたま自分たちの両親から市民権を得る。

米国バージニア州のリッチモンド大学で政治理論を教えるハビエル・ヒダルゴ准教授は、一様に市民権は努力して得るものではなく、市民権を商品として扱うことを道徳的に嫌悪する行為は、本質的にはしばしば偽善が備わっていると考えている。

「私のように移民制限に懐疑的な人は、市民権を売ることにも懐疑的になる。無料で人に入国許可を与えなければならないと考えるからだろう」

「でも大半の国や人は、移民の制限を積極的に受け入れている。それが大丈夫だと考えるなら、市民権を売ることは何が問題なのか」

「すでに多くの人を排除することを支持している。排除してもよかった人たちの一部に市民権を与えることでお金を稼いではどうか」

アマール・アル・サディさんと家族はマルタで家を買い、そこに住んでおり、アル・サディさんはきょうだいたちと共にマルタで勉強している。

アル・サディさんは、自分たちがマルタの生活に溶け込み、新しい近所の人たちから歓迎され、多くの友人を作っていると話す。

「でも、みんなが私たちほど幸運じゃないと思う。それが本当に悲しい」

(英語記事 What price would you put on a passport?

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