パリ連続襲撃事件 広がる恐怖

  • ヒュー・スコフィールド記者
  • BBCニュース、パリ
Tributes left outside Le Petit Cambodge, Paris,, following attacks on 13 November 2015

画像提供, PA

今年1月に、風刺雑誌「シャルリ・エブド」の編集部などがイスラム過激主義者によって銃撃され18人が殺害された際、人々はパリは安全だろうかと問いかけた。しかし心の奥底では本当に危険が迫っているとは感じていなかった。

襲撃の標的となったのは刺激的な風刺画を描く作家やユダヤ人だった、と考えて安心していたのかもしれない。

1月の襲撃に抗議した多くの人は連帯を表明したが、標的となった人々が感じた恐怖までは共有していなかった。

今は違う。

13日夜の連続襲撃は、欧州が「中東」になった瞬間だった。

襲撃は、残虐性や対象が広範囲にわたり無作為だった点で、ベイルートやバグダッドで起こり得るとは思えても、よもやパリやロンドンでは想像しがたいものだった。

答えがない難問

我々は認めたくないだろうが、西側の各都市ではテロの実行が様々な形で抑止されていた。

我々はテロリストには政治的な要求があり、一定の道義心に基づくと思いがちだ。これまでの事件で、犠牲になるのは特定の集団とたまたま近くにいた人というケースが多かった。

画像提供, AFP

しかし、パリの事件を考えると、新たなテロリズムは大規模で、虚無的で、死を志向するようにみえる。

今や、誰かを殺害するのは、政治的な目的を果たすための副産物ではない。実行犯たちにとっては、神が定めた大いなる計画を実行し、永遠の栄光を手にする手段なのだ。

これに論理で応じることはできない。このような考え方に簡単な対処法はない。制止するために我々の社会ができることもあまりない。このテロに必要なのは信仰と銃をもった若い男たちだけなのだから。

だから今、パリではこれまでになかった恐怖が広がっている。

連帯?

母親たちは10代の息子がバーに行くのを止めるべきだろうかと思い悩む。夫は妻が仕事から帰りが遅いのを気に病む。

我々の行動に多くの小さな変化が生まれる。勤務時でない警察官にも銃の帯同をさせるべきだとの声が上がっている。

この先はどうなるのか、恐怖に満ち武装した社会だろうか。

まさにこれがテロ犯たちの望んでいることだ。

国家の治安強化以上に彼らが喜ぶことはない。そうしたら、次の攻撃を計画するだろう。政府の力の限界を再び示し、極右が勢いを増すだろう。

これはテロリストのもう一つの目的だ。マリーヌ・ルペン党首率いる国民戦線が政権を獲得し、フランスが分裂した勢力が争う社会となって崩壊する――ありえないとは言えない――のを、彼らが一番喜ぶだろう。

「シャルリ・エブド」襲撃事件の直後起きた人々の強い反応は、レピュブリック広場での100万人デモにつながった。

デモはとてもフランスらしい「連帯」という考えを掲げる目的だった。連帯とは、市民として、傷ついた人々と共にあるという表明だ。

今回の事件を受けて、同じような反応が人々の間に広がるかもしれない。しかし、一部には「連帯」が意味をなさいという人もいる。

すべての人が傷つく可能性がある今、自分自身への「連帯」をどう表明すればよいのか。