米カルト元指導者マンソン受刑者が死亡 多数殺害を指示

マンソン受刑者は米国で人種戦争が近いと信じていた Image copyright Getty Images
Image caption マンソン受刑者は米国で人種戦争が近いと信じていた

米カルト集団の指導者として大量殺人罪に問われたチャールズ・マンソン受刑者が19日、カリフォルニア州ベーカーズフィールドの病院で死亡した。83歳だった。

マンソン受刑者は自ら率いる集団に残忍な複数の殺人を指示し、1960年代に盛んになったカウンタカルチャー(対抗文化)の影の部分の象徴的な人物として知られる。

カリフォルニア州矯正局は文書で、今月初めから入院していたマンソン受刑者が19日午後8時13分(日本時間20日午後1時13分)にカーン郡の病院で「自然死した」と発表した。

1969年、「マンソン・ファミリー」と呼ばれるマンソン受刑者に従う集団が7人を殺害。被害者の中には、映画監督ローマン・ポランスキー氏の妻で出産間近だったハリウッド女優シャロン・テート氏が含まれていた。

マンソン・ファミリーの若いメンバーの一人だったスーザン・アトキンス受刑者(2009年死亡)はテート氏を刺殺した後、同氏の血で家の玄関に「PIG(ブタ)」と書いた。

集団はこのほかテート氏の家に居合わせた4人を殺害。翌日、ロサンゼルス市に住む裕福な夫婦、レノ・ラビアンカさんと妻のローズマリーさんを殺害した。一連の殺人事件は「テート・ラビアンカ」事件として知られるようになった。

マンソン受刑者は現場には居合わせなかったものの、信奉者たちに指示していたとされ1971年に死刑判決を受けた。

受刑者の死亡発表後、テート氏の妹デボラさんは米ニュースサイト「TMZ」に対し、死亡後間もなく刑務所から電話連絡を受けたと明らかにした。

1960年代に自分を信奉する若者たちを集めたマンソン受刑者は、米国で人種戦争が起きると主張し、自分が戦争の開始を早め、新秩序の指導者になると宣言。マンソン受刑者は自らの考えを当時熱心に聴いていたビートルズの曲と同じ「ヘルター・スケルター」と名付けた。

検察はマンソン受刑者が、殺害事件の犯人が黒人だと思わせることで人種間の緊張を高めようとしていた、と指摘した。

マンソン受刑者は薬物や生来のカリスマ性を使って、主に中産階級出身の若い女性たちを信奉者に仕立て上げ、多くの信奉者に自分がイエス・キリストの生まれ変わりだと思い込ませた。

死刑判決

マンソン受刑者には死刑判決が下っていたが、カリフォルニア州最高裁による死刑の違憲判断を受けて死刑が一時的に禁止されたことに伴い、終身刑に減刑された。マンソン受刑者は約40年にわたる期間に保釈を12回申請している。

死亡前の最後の申請となった2012年当時、仮釈放委員会はマンソン受刑者が更生の努力を全くしているように思えないと指摘。刑務所で武器を所持したり、禁止されている携帯電話を入手するなど、マンソン受刑者の素行は良いとは言えなかった。

2014年には、マンソン受刑者を愛していると語る26歳の女性との結婚が許可されたが、結婚は実施されなかった。

マンソン受刑者と信奉者たちが起こした残虐な事件は、その後40年以上にわたって関連の本や映画、音楽を生み出し、米国人の意識の中に存在し続けてきた。

(英語記事 Charles Manson dies aged 83 after four decades in prison