北朝鮮亡命の元米兵ジェンキンスさん死去 拉致被害者・曽我ひとみさん夫

ジェンキンスさんは24歳だった1965年、非武装地帯を越えて北朝鮮に亡命した Image copyright Reuters
Image caption ジェンキンスさんは24歳だった1965年、非武装地帯を越えて北朝鮮に亡命した

北朝鮮に亡命した元米兵で、拉致被害者の曽我ひとみさんの夫チャールズ・ジェンキンスさんが11日夜、住んでいた新潟県佐渡市で亡くなった。77歳だった。

ジェンキンスさんは1960年代に米兵として駐留していた韓国から北朝鮮に亡命し、40年近くを平壌で生活した。2004年からは、先に帰国を果たした曽我さんと日本で暮らした。

北朝鮮映画のスターになったジェンキンスさんは、亡命後に北朝鮮から出ることができた唯一の米兵。同様に亡命した元米兵のジェイムズ・ドレスノクさんは、2016年に脳卒中で死亡したとみられている。

日本のメディアによると、ジェンキンスさんは自宅の外で倒れているのを発見され、病院に運ばれたものの心臓の問題で亡くなった。AFP通信によると、ひとみさんはコメントを発表し、「突然のことで大変びっくりしており(中略)今、何も考えられない」と述べたという。

計画通りにいかなかった亡命

ジェンキンスさんは、非凡ながらも困難な北朝鮮での生活について、回想録やいくつかのインタビューで語っている。

韓国の非武装地帯(DMZ)近くに駐留していたジェンキンスさんは24歳だった1965年当時、部隊を脱走して北朝鮮に亡命することを決意した。警戒中に命を落としたり、戦争中のベトナムに送られたりするのを恐れたという。

北朝鮮に行けば、まずロシア大使館に保護を求め、最終的には捕虜の交換で米国に戻ることができるとジェンキンスさんは考えていた。

1月のある日の夜、ジェンキンスさんはDMZを歩いて越え、北朝鮮軍に投降した。

しかし、ロシアはジェンキンスさんら米兵に亡命を許可せず、北朝鮮で捕虜としての生活が始まった。

2005年のCBSテレビとのインタビューでジェンキンスさんは、「今、振り返れば、私はばかだった。もし天に神様がいるなら、ここまで生きてこられたのは神様の助けだ」と語った。

当時、北朝鮮の最高指導者だった金日成(キム・イルソン)の教えを勉強させられ、翻訳や英語指導が任務になった。北朝鮮のプロパガンダ映画で西側の悪役として出演し、ちょっとした有名人にもなった。

ジェンキンスさんは、頻繁に暴行され、時には残酷で不必要な医療処置を受けたと語っている。麻酔なしで米陸軍時代の入れ墨を切り取られたりしたという。ジェンキンスさんは当時の経験を「地獄」と表現している。

「おやすみ」と「グッドナイト」

しかし、唯一の光明になったのが曽我さんだった。北朝鮮スパイの日本語習得のため、曽我さんは北朝鮮によって日本から拉致された。

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Image caption 2004年にほかの拉致被害者と共に記者会見した曽我さん

1980年にジェンキンスさんと一緒に生活するよう曽我さんが連れてこられ、その2週間後には結婚するよう強制されたという。しかし、自分たちを捕えている北朝鮮への憎悪が2人を結びつけ、2人は愛し合うようになった。

「まあ、こうとでも言っておきましょう。彼女を一目見て、もう離さないと思った」。CBSとのインタビューでジェンキンスさんはこう語った。

ジェンキンスさんの回想録には、毎晩寝る前にジェンキンスさんは日本語で「おやすみ」と声をかけると、曽我さんは「グッドナイト」と応じたことが明かされている。「私たちが本当はどんな人間で、どこから来たのか忘れないためだった」。

2人の間には2人の娘、美花さんとブリンダさんが生まれた。ジェンキンスさんによると、外国人捕虜は一般の北朝鮮市民より厚遇されていたという。1990年代の飢饉の際にも、食料を配給されていた。

曽我さんは、日本政府による交渉の結果、2002年に解放され帰国。その2年後にジェンキンスさんは娘たちと共に曽我さんと再会した。

家族との再会は、日本のメディアによって詳細にわたって報道され、多くの人の同情を呼んだ。

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Image caption 家族の再会を果たし新潟県佐渡島に到着したジェンキンスさん、曽我さん夫妻と2人の娘(2004年12月)

亡命から40年近くを経て、日本で米軍に身柄を預けたジェンキンスさんは、軍法会議にかけられ、不名誉除隊と禁錮30日間の判決を受けて服役した。

ジェンキンスさんは服役後、曽我さんや娘たちと新潟県佐渡島に住み、観光施設の土産物屋で働いていた。

しかし、外の世界から隔絶された北朝鮮での生活が長かったジェンキンスさんにとって、現代社会の生活に順応するのは容易ではなかった。

CBSテレビによると、インターネットどころか、コンピューターにも触ったことがなかったというジェンキンスさんは、軍に女性が大勢、そして警察に黒人が大勢働いていることに驚いたという。

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Image caption 軍法会議を待つ間にコンピューターの訓練を受けるジェンキンスさん(2004年撮影)

米紙ロサンゼルス・タイムズの今年8月の記事でジェンキンスさんは、捕囚時代に受けた医療行為の後遺症に悩まされ、解放後には病院に入院する必要があったと語った。これが生前最後のインタビューの一つだった。

また、自由になって以降も北朝鮮への恐怖は消えず、自分や家族をいつか暗殺しに来るのではないかとずっと心配していると話した。

「北朝鮮は私の死を望んでいる」。ジェンキンスさんはロサンゼルス・タイムズにこう話していた。

(英語記事 Charles Jenkins: US soldier who defected to North Korea dies