クメール・ルージュ指導者に有罪判決、大量虐殺の罪では初 カンボジア

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Image caption 2人は既に終身刑に服している

カンボジアのポル・ポト元首相が1970年代に率いた政治勢力「クメール・ルージュ」政権の高官2人に16日、大量虐殺の罪で有罪判決が下った。大量虐殺で有罪判決が下るのは今回が初めて。

判決が下ったのは、ポルポト政権で人民代表議会常任委員会議長(国会議長)を務め、序列第2位だったヌオン・チア被告(92)と、同政権で元首職にあたる国家幹部会議長だったキュー・サムファン被告(87)。

2被告は、国連が支援する法廷で、イスラム系民族のチャム族とヴェトナム系民族に対する大量虐殺の罪で裁判にかけられた。

今回の有罪判決は、クメール・ルージュ政権が実行したのが実際に大量虐殺であったとの、国際法の下で初の認可となる。

カンボジアでは1975年から1979年の間、短命だったが残忍だったクメール・ルージュ政権の下、最大で200万人の死者が出たと考えられている。

死者の多くは飢餓や過度の労働に倒れたか、もしくは国家の敵として処刑された。

BBCのジョナサン・ヘッド東南アジア特派員によると、クメール・ルージュ政権によるカンボジア国民の殺害は国際的な大量虐殺の定義に当てはまらないため、これまで政府高官らは人道に対する罪で訴追されてきたという。

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Image caption 判決文が読まれるのを聞くクメール・ルージュ政権の犠牲者と親族たち

既に「人道に対する罪」で終身刑となり服役している2被告は、再び終身刑を宣告された。

カンボジアの首都プノンペンにある同法廷で有罪判決を受けた人物はこれまでに3人しかおらず、2被告はそのうちの2人。

クメール・ルージュ政権下で苦しんできた人々で満員になったプノンペンの裁判所で、ニル・ノン判事は長らく待たれてきた長文の判決文を読み上げた。

判決では、チア被告がチャム族とヴェトナム系カンボジア人を抹殺する目的での大量虐殺で、サムファン被告がヴェトナム系民族に対する大量虐殺でそれぞれ有罪となった。

2被告はこのほか、強制結婚や強姦、宗教的迫害などでも有罪となった。

クメール・ルージュはどんな勢力だったのか

クメール・ルージュは急進的な毛沢東主義者の勢力で、旧支配勢力を打倒して新政権を樹立し、1975年から1979年にかけてカンボジアを支配した。指導者は政治家のサロット・サルだが、改名後のポル・ポトとしてのほうが有名。

フランスで学んだ知識人らが樹立した政権は、自立的な農業社会の創出を目指した。都市からは人が消え、そこにいた住民は地方の農業協同組合での労働を強いられた。多くの人が死ぬまで働かされ、飢えに苦しんだ人も多く、同国経済は崩壊した。

権力を握り暴力的な支配を行った4年間で、クメール・ルージュは自分たちの敵と認識した対象を全て拷問し、殺害した。その対象は知識人や少数民族、前政権の当局者、そしてこうした人々の家族にまで及んだ。

被害者には少数民族出身の人々もいたが、大部分は同国に多いクメール族だった。

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Image caption カンボジアは映画「キリング・フィールド」で有名になった。この映画は同国であった虐殺の規模を知る資料となっている

クメール・ルージュ政権はヴェトナムの侵攻により1979年に打倒された。ポル・ポトはカンボジアから逃亡し、1997年までは自由の身だったものの、同年逮捕され自宅監禁になると、翌年の1998年に死去した。

今回の大量虐殺に関する裁決がなぜ重要なのか

クメール・ルージュによる犯罪は長年の間、「カンボジアの大量虐殺」として言及されてきたが、学者やジャーナリストは何年もの間、この犯罪の規模について議論を重ねてきた。

イスラム教系のチャム族とヴェトナム系民族が多数死亡したものの、国連のジェノサイド条約は大量虐殺の定義を「国民的、民族的、人種的または宗教的な集団の全部または一部を破壊する意図」を持って行われる行為としていたため、同法廷の検事は、殺害の対象にした民族に対し、クメール・ルージュが定義された意図を具体的に持っていたことを証明しようとした。ただ、ポル・ポトの伝記を執筆したフィリップ・ショート氏などの一部専門家は、クメール・ルージュにそのような意図はなかったと話している。

法廷では、ポル・ポトが1978年に行った演説が引用された。この演説でポル・ポトは、カンボジア国内にヴェトナム系民族が「一粒の種も」見つからなくなったと述べた。歴史家はこの発言がまさに、国外追放や殺害によって、数十万人規模だったヴェトナム人少数社会が0人となったことを指していると指摘している。

大量処刑の標的となっただけでなく、自らの宗教を信じるのを禁止され、政権によって豚肉を食べるよう強制されたとイスラム教系のチャム族は話している。

16日の判決は議論を完全に終わらせはしないかもしれない。ただ判決は、被害者グループが長い間切望していた正義の象徴となった。

今回の法廷が議論を呼んでいる理由は

公式にはカンボジア特別法廷と呼ばれるこの法廷での結論は、最終的判決となる可能性がある。

同法廷は2006年、クメール・ルージュ政権の残虐行為について指導者や責任者を裁くことを目的に設置された。カンボジア人と世界各国の裁判官が判決を下す。これまでにかかった運営費用は約3億ドル(約340億円)とされるが、有罪判決が出たのは現在までに3人だけとなっている。

2010年、同法廷はドッチの別名でも知られるカイン・ゲク・イウ被告に有罪判決を下した。拷問室と監獄の複合施設として悪名高い、プノンペンのトゥール・スレン政治犯収容所の所長だった。

クメール・ルージュ政権の外相だったイエン・サリ被告もキュー・サムファン被告およびヌオン・チア被告と同じ裁判で、2つの案件に関する審理にかけられていたが、2014年に最初の案件の第1審判決が出る前に死亡している。イエン・サリ被告の妻でクメール・ルージュ政権の社会問題相だったイエン・チリト被告もこの裁判にかけられていたが、公判に立てる精神的状態ではないと判断され釈放が命じられた。イエン・チリト被告は2015年に死去した。

他にも4人のクメール・ルージュ政権高官が裁判にかけられているが、カンボジアのフン・セン首相はこの法廷が新たな裁判を始めることに反対を主張しており、新しく裁判が開かれる可能性はほとんどない。

自身もクメール・ルージュ政権の中位メンバーだったフン・セン首相は、国民は先に進むことを望んでおり、これ以上の訴追は暴力を引き起こす可能性があるとしている。

クメール・ルージュは政権を失った後に反政府運動を起こしたが、1990年代には数千人が政府に投降。1999年に完全解散した。カンボジアの一部地域では、かつての被害者と加害者が助け合って生活している村もある。

ただ、カンボジア人の多くは法廷にほとんど注意を払っておらず、特に若者層は、「処刑場」としてよりも別の何かとして自国が知られたいと望んでいる。

(英語記事 Khmer Rouge surviving leaders guilty of genocide, tribunal finds

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