【東京五輪】 開会式でミュンヘン大会のイスラエル人犠牲者を追悼 

Palestinian gunman in Munich, September 1972

画像提供, Getty Images

画像説明,

1972年9月、ミュンヘン五輪の選手村でパレスチナ武装勢力がイスラエル選手・コーチ11人を人質にとり、殺害した

東京オリンピックの開会式が23日夜、東京の新国立競技場であり、1972年9月のミュンヘン五輪で殺害されたイスラエル選手・コーチ11人を追悼する黙祷(もくとう)が行われた。五輪開会式でミュンヘン大会の犠牲者を追悼するのは初めて。

ミュンヘン大会での事件の犠牲者遺族は長年、国際オリンピック委員会(IOC)など五輪関係者に対して、開会式で犠牲者を追悼するよう求めていたが、事件から49年後についに実現した。

事件でそれぞれ夫を失ったアンキー・シュピッツァーさんとイラナ・ロマーノさんは、東京での開会式に出席。「私たちは49年、闘い続けて、決してあきらめなかった」、「ついに報われた」と話した。

2人は、涙を抑えられなかったと言い、「この瞬間をずっと待ちわびていた」と述べた。

開会式では選手入場に先駆け、俳優でダンサーの森山未來氏が死者にささげるダンスを披露。

続いて、「オリンピック大会の最中に命を落とした人たちを追悼します」というアナウンスが入り、さらに「一組の人たちが特に私たちの記憶に強烈に残り、大会で失った全員を象徴する存在となっています。1972年ミュンヘン大会のイスラエル選手団です」と続いた。

会場の照明が落とされ、柔らかな青い光が場内を照らすと共に、黙祷がささげられた。

イスラエルのナフタリ・ベネット首相はこれを歓迎。ツイッターで、「重要で歴史的なこの瞬間を歓迎します。彼らの記憶が祝福されますように」と書いた。

1972年9月5日にミュンヘン大会の選手村で起きた人質殺害事件は、現代オリンピックの歴史に特に暗い影を落とす出来事のひとつ。

過激派「黒い9月」の武装パレスチナ人が選手村に押し入り、イスラエル代表チームの選手5人とコーチ6人を人質にとった。

武装勢力はイスラエルの刑務所に収容されているパレスチナ人などの解放を要求し、コーチ1人と選手1人をただちに射殺。他の9人を国外へ連れ出そうと近くの飛行場へ向かった武装勢力と西ドイツ警察が銃撃戦になり、イスラエル人9人全員と西ドイツ警官1人、「黒い9月」のメンバー5人が死亡した。

遺族は繰り返しIOCに、式典で犠牲者を追悼するよう求めてきたが、IOCはこれに応じていなかった。

2012年ロンドン大会は事件から40周年にあたったものの、IOCは黙祷の求めに応じず、批判されていた。ロンドン大会当時、選手村や近くの会場で複数の追悼式が行われたものの、IOCは開会式は追悼にふさわしい雰囲気ではないと拒絶していた。これについて当時、シュピッツァーさんはIOCを厳しく非難していた

IOCは2016年のリオ大会では選手村に、五輪大会の最中に死亡した人のため「追悼の場所」を設けていた。