タリバンが記者会見 イスラム法の範囲で女性の権利認めると

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カブールで女性の権利尊重を求める人たち
アフガニスタンを支配下に置いた武装勢力タリバンは17日、首都カブール掌握後初の記者会見を開いた。内外で懸念されている女性の権利については、「シャリア(イスラム法)の枠組みの中」で尊重すると述べた。
15日にカブールを掌握してから初の記者会見で、報道担当のザビフラ・ムジャヒド幹部は、女性は就労の自由が認められると述べた。しかし、他の規則や規制について詳細は明らかにしなかった。
記者会見で外国メディアは、タリバン政権下の女性の権利について質問を繰り返した。ムジャヒド幹部は「我々の枠組みの中で、女性が働き勉強することを認める」、「我々の社会で女性はとても活発に活動することになる」と述べた。
ただし、女性にどのような服装を要求するのか、全身をすっぽり覆い隠すブルカの着用を義務付けるのか、さらには女性にどのような就労機会が認められるかなどについては、質問されても答えなかった。
ムジャヒド幹部は、全てのアフガニスタン人が「イスラムの枠組みの中」で生活しなくてはならないと繰り返した。
ムジャヒド幹部はほかに、政権発足に向けて作業を進めており、数日中に発表すると明らかにした。
過激派勢力アルカイダなどが国内を拠点とするのではないかとの質問には、「アフガニスタンの国土を、他者の攻撃には使わせない」と述べた。「内部にも外部にも敵は欲しくない」と融和姿勢を示したほか、政府治安部隊の兵士や外国政府と協力したアフガニスタン人には恩赦を約束した。
タリバンは同日、記者会見に先立ち、国内全土に全般的な恩赦を宣言。政府職員に安心して職務を再開するよう呼びかけたほか、自分たちの政府に女性の参加も希望すると述べた。
「アフガニスタンの国土を他者の攻撃に使わせない」 タリバン幹部が会見
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PR作戦か策略か
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重装備のタリバン戦闘員がアフガニスタン各地の市内をパトロールしている(17日、カンダハール)
タリバンが支配するアフガニスタンで、女性の人権が再び侵害されることが内外で懸念されている。1996年から2001年にかけてアフガニスタンを支配した当時、タリバンはシャリアの独自の厳格解釈にもとづく厳罰で市民生活を統制した。女性にはブルカで全身を覆うよう強制し、10歳以上の女子が学校で学ぶことを認めなかった。
タリバンは15日以来、「誰に報復するつもりもない」、「すべてのアフガニスタン人のための平和で包摂的な政府になる」、「誰も恐れる必要はない」などと外国メディアに繰り返してきた。専門家たちは、タリバンが洗練されたPR作戦を展開し、アフガニスタン国民と国際社会の好意をとりつけようとしていると分析する。
タリバン復権 徐々に高めた存在感、高まる国民の不安
アフガニスタン国内では、復権したタリバンの発信内容を大勢が複雑な気持ちで受け止めている。
ムジャヒド幹部の記者会見をテレビで見ていたカブールの女性は、「連中の言うことは信じない」とBBCに話した。
「策略だと思う。こうやって仕組んで、私たちを外に誘い出して、外に出たら処罰するのだと思う。タリバンの法の下で勉強したり働いたりするつもりはない」と、別の女性は話した。
一方で、一定の希望の兆しを見出した人もいる。
「働ける、教育が受けられるというなら、私にとってはそれが自由の定義。それが絶対に譲れない一線で、タリバンはまだその線を超えていない」と、現地の女性は話した。
「自分が勉強し、働く権利が保護される限り、私はヒジャブを着けるのは構わない。自分はイスラムの国に住んでいるのだし、イスラムの服装規定は受け入れる。ただし、ブルカは別。あれはイスラムの服装規定ではないので」
アフガニスタンのニュース放送に女性キャスター戻る
<分析> リーズ・ドゥセットBBC国際報道主任特派員
「イスラムの中でのあらゆる権利」。これはタリバンが、アフガニスタンの女性や女の子について、繰り返し使ってきた表現だ。
近年ではカタール・ドーハに交渉拠点を置くタリバン幹部に対して、このフレーズがいったい何を意味するのか、各国外交官やアフガニスタン人がその内容を確認しようとしては失敗してきた。
サウジアラビアやカタールといった保守的なイスラム社会における、女性の権利に近いものを意味するという説明を耳にしたことがある。タリバン創設者の1人がかつて、大学の授業は男女別に行い、使用する空間も分割し、頭髪は覆わなくてはならないと、口を滑らせたこともある。
それより参考になるかもしれないのが、都市部・農村部を問わず各地から伝えられる最近の情勢だ。女性記者は帰宅するよう言われ、オフィスで働く女性たちの仕事は今後は男性が引き継ぐと言われているという。女性への規制は地域によっても差が出るかもしれない。
首都カブールをはじめ、比較的開かれた都市では、決まりは他の地域とは少し変わるかもしれないとは、以前から言われていた。アフガニスタンで新秩序が生まれる中、女性たちはその限界を試していくことになる。
出国続く
15日から16日にかけて、カブール空港ではタリバンから逃れようとする市民が押し寄せ、大使館職員らを乗せた飛行機によじ登ろうとしたり、しがみついて落下するなど、事態は混乱を極めた。
米軍関係者は米CBSニュースに対して、武装して空港に侵入しようとしたアフガニスタン人2人を米兵が射殺したと明らかにした。
16日のカブール空港では7人が死亡したという。
外交官や現地採用の大使館職員とその家族を乗せた軍用機の発着も、混乱のため一時中止されたが、17日には出国作業が再開した。
米紙ワシントン・ポストは米政府関係者の話として、16日にカブールを離陸した米輸送機の車輪格納部から、人の遺体が見つかったと伝えた。車輪を収納できなかったため近くの国に迂回(うかい)して着陸し、点検したところ、遺体があったという。
カブール空港で大混乱 タリバン逃れようと数千人押し寄せ
さらに、ソーシャルメディアで広く拡散している空港での動画に、離陸した飛行機から人が少なくとも2人落下するように見えていることについて、この政府当局者は「実際にあった」ことだと話したという。
一方、米防衛専門サイト「Defense One」の記者は、カブールを出発した米空軍機内にアフガニスタンの民間人約640人が乗った様子として写真をツイッターに掲載した。米軍から入手した写真という。出国許可を得て飛行場に出ていた人たちがC-17機に乗り込み、定員を超えていたものの、クルーは離陸することにしたという。
アフガニスタン情勢の変化:アメリカの作戦展開とタリバンの進攻
2001年10月: 9月11日の米同時多発テロを受け、ブッシュ米政権主導によるアフガニスタン空爆開始
2009年2月: アメリカはさらに兵士1万7000人の増派を決定。NATO加盟国もアフガニスタンへの増派などを約束
2009年12月: バラク・オバマ米大統領(当時)は、アフガニスタン駐留軍を3万人増員し、計10万人に拡大すると決定。一方で、2011年までに撤退を開始すると表明
2014年10月: アメリカとイギリスが、アフガニスタンでの戦闘作戦を終了
2015年3月: オバマ大統領が、駐留軍の撤退延期を発表。アフガニスタンのアシュラフ・ガニ大統領の要請を受けたもの
2015年10月: オバマ大統領が、2016年末までは兵士9800人をアフガニスタンに残すと述べた。これ以前は、1000人を残し全軍を撤退させると約束していた
2016年7月: オバマ大統領は「安全保障上の不安定な状態」を理由に、2017年には米兵8400人が駐留すると発表。NATOも駐留を継続することに合意したほか、2020年までアフガニスタン政府軍への資金援助を続けると強調した
2017年8月: ドナルド・トランプ大統領(当時)が、タリバンの勢力拡大を受けた増派表明
2019年9月: アメリカとタリバンの和平交渉が決裂
2020年2月: 数カ月におよぶ交渉の末、アメリカとタリバンがドーハで合意に至る。アメリカは駐留軍撤退を約束
2021年4月: ジョー・バイデン大統領、9月11日までに駐留米軍を完全撤退させると表明
5月: 米軍とNATO各国軍の撤退開始
5月: タリバン、南部ヘルマンド州でアフガニスタン軍へ大攻勢開始
6月: タリバン、伝統的な地盤の南部ではなく、北部で攻撃開始
7月2日: カブール北郊にあるバグラム空軍基地から、米軍やNATO加盟各国軍の駐留部隊の撤収完了
7月21日: タリバンが半数の州を制圧と米軍幹部
8月6日: 南部ザランジの州都をタリバン制圧。タリバンが新たに州都を奪還するのは1年ぶり
8月13日: 第2の都市カンダハールを含め4州都がタリバン支配下に
8月14日: タリバン、北部の要衝マザーリシャリーフを制圧
8月15日: タリバン、東部の要衝ジャララバードを無抵抗で制圧。首都カブール掌握