ファッションデザイナーの三宅一生氏、肝細胞がんで死去 84歳

Fashion, Ready To Wear, Fall -Winter 97 -98 In Paris, France On March 11, 1997

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1997年にフランス・パリで開催された「Ready-to-Wear」ファッションショーでの三宅一生氏(右)

日本の革新的なファッションデザイナー、三宅一生氏が5日、肝細胞がんのため東京都内で亡くなった。84歳だった。三宅デザイン事務所が9日に発表した。

日本メディアによると、葬儀はすでに執り行われた。

革新的なスタイルと香水で知られる三宅氏は、世界的ファッションブランドを築き上げた。デザインした服には、米アップル創業者スティーヴ・ジョブズ氏が着用した有名な黒いタートルネックもある。

また、その長いキャリアの中で、伝統的なファッション技術と現代的なファッション技術を駆使したことで知られる。

三宅氏は1938年に広島で生まれた。7歳の時にアメリカによる原爆投下で広島は壊滅的状態となった。母親はその3年後に被ばくの影響で亡くなった。

2009年に米紙ニューヨーク・タイムズに寄稿した際には、「目を閉じると、いまでも誰1人として体験してはならないものが見える」とし、「破壊ではなく創造ができ、美と喜びをもたらす」ものを考えることが好きだと語った。

報道によると、幼い頃はダンサーかスポーツ選手になるのが夢だったが、女きょうだいが持っていた雑誌を読んだことで進む道が変わったという。

多摩美術大学でグラフィックデザインを学び、1960年代にフランス・パリへ。著名ファッションデザイナーのギ・ラロッシュ氏やユベール・ド・ジバンシィ氏と仕事をするようになった。

米ニューヨークで短期間過ごした後、1970年に東京に戻り三宅デザイン事務所を設立した。

プラスチックから金属、さらには日本の伝統的な素材や紙を使った作品を発表し、1980年代には世界で最も先駆的なデザイナーの1人と称されるようになった。

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「プリーツプリーズ」シリーズの作品。1995年3月18日の「Ready-to-Wear」ファッションショーにて

三宅氏は、専用の紙と紙の間に布を挟んで熱プレスすることでプリーツの形状を生み出す新たな手法を開発した。

この手法は驚異的な成功となった。プリーツが固定され、しわにならないことがさまざまな検査で証明され、「プリーツプリーズ」という三宅氏の代表的シリーズが誕生した。

樹脂製の小さな三角形で構成された特徴的なバッグ「バオバオ」では、その技術が評価され、偽物が市場にあふれるほどの人気を博した。

ハイテクでありながら実用的かつ快適なスタイルを生み出し、日本のファッション業界のみならず世界のファッションショーでその名を知られるようになった。

また、非常に人気の高いメンズやレディースの服だけでなく、バッグや時計、香水なども手がけた。1992年発売の香水「ロードゥ イッセイ」は14秒に1本売れているとうわさされた。

現在、複数の美術館で見ることができる「A-POC」(エイポック、A Piece of Clothing)ラインの服は、特殊な織機を用いて、一本の糸でつくられている。

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特徴的なバッグ「バオバオ」

三宅氏は米アップル創業者ジョブズ氏から、同氏の象徴的な服となったタートルネックのデザインを依頼され、1着175ドルで100着をつくったと報じられている。

2006年には芸術への貢献が評価されて第22回京都賞(思想・芸術部門)を、2010年には日本の文化・芸術における顕著な業績が認められ文化勲章を受賞している。

<解説> 大井真理子、アジアビジネス担当編集委員

「デザインは希望を表現するものでなければならない」という有名な言葉を残した三宅一生氏は、金もうけのためではなく、人間の存在のあり方を問うのがファッションの役割だと信じていた。

日本人にとって三宅氏は、オノ・ヨーコ氏と並び、世界的知名度を誇る数人の日本出身者の1人だ。

三宅氏の幼少期のトラウマ的体験について知る人は多くはないだろう。それは、本人が晩年まで語らなかったためだ。

その理由について、「原爆を生き延びたデザイナー」として知られたくなかったからだと、2009年に明かしている。

三宅氏は長い間、このことについて語らないという選択をしていたのかもしれない。そんな日本の革新的デザイナーは、ふるさとへの原爆投下から77年を迎える前日に、私たちを残して旅立った。