東日本大震災から7年 復興の長い道を歩む福島

ズー・ピン・チャン ビジネス記者

震災から7年。東京電力関係者は今もメルトダウン被害の修復作業にあたっている Image copyright EPA
Image caption 震災から7年。東京電力関係者は今もメルトダウン被害の修復作業にあたっている

その日は本来、記念すべきお祝いの日だった。しかし、渡邉利生(わたなべ・りお)さんの卒業式は、悪い意味で忘れられないものになってしまった。

当時23歳だった渡邉さんは、最初の揺れが始まったとき、東京にいた。

日本は地震慣れしている国だ。日本の気象庁によれば、毎年10万回以上の地震が発生する。

しかし、2011年3月11日の揺れはあまりに激しく、渡邉さんは東京が震源に違いないと思った。

東京から約380キロ北で発生した地震だと知った時、渡邉さんはただちに、福島にいる家族と、父親が経営する旅館「山水荘」のことを考えた。

山水荘がある土湯温泉は山間部にある。マグニチュード9にも達した地震や津波の、直接の被害からは逃れることができた。

しかし、福島第1原子力発電所のメルトダウン事故は放射能汚染を引き起こし、温泉地からはあっという間に人が消えた。

Image caption 放射能汚染が疑われる土を入れた袋が、福島第1原発近くの道路沿いに並べられている

何もかもがいきなり変わった。当時の様子は渡邉さんの頭から離れない。原発事故の影響で、旅館の全ての予約がキャンセルされた。

あれから7年がたったが、旅館の営業利益は震災前の水準には回復していない。

温泉を訪れる客の中には今でも、放射能被害について話題にする人もいるという。「福島には未だにネガティブなイメージがあり、それはこの地域の全員にとって苦痛だ」と渡邉さんは言う。

地震と津波で1万8000人以上の死亡が確認され、日本はエネルギー政策の再考も迫られた。

7年たった今も、2011年の震災による傷は残る。住む人を失った多くの家屋は、生い茂る枝や生垣に覆われてしまった。自動販売機も放置された。

ただそこには、回復の物語もある。

Image caption 福島第1原発のすぐ外には、放置された自動販売機がたたずむ

渡邉さんは当時からずっと、福島の山水荘に戻って父親の経営を手伝おうと考えていた。それだけに、震災で自分の将来が突然打ち砕かれたと衝撃を受けたという。

しかしその一方で、震災は地域社会の連帯ももたらした。

近隣地域の温泉オーナーたちが協力して立ち上げた株式会社元気アップつちゆに、渡邉さんも協力し、ふるさとの復興に取り組んでいる。

「土湯地域をもういちど活気づける」ことを意味するこの組織は、地域行事を宣伝したり、地域社会をまとめたりすることを目的としている。

Image caption 渡邉利生さんは、山水荘を見下ろす高台に設置された地熱発電所がいつか、地域全体を補える電力を生み出すよう望んでいる

オーナーたちは、山水荘から200メートルほど高い位置にある「地熱バイナリー発電所」に投資している。

発電所の敷地内では数十本の配管が絡み合い、バスケットボールコートほどの空間を埋め、化学物質と温泉水由来の蒸気とを混ぜて電力を生み出している。

今のところ、余剰エネルギーのほとんどは半国有化された電力会社に売電している。しかし、政府が進める電力自由化によっていずれ、自分たちが作った電力が地域社会で使われるようになるだろうと、渡邉さんは期待している。

金属製のパイプやタービンの存在は山あいの温泉地の景観にとって、決して目障りなものではない、むしろ土湯温泉体験の名物になるはずだと渡邉さんは力説する。

その証拠に温泉客に施設を見せると、ほとんどの人が「おお!」と感心して喜ぶのだという。

Image caption 余剰エネルギーは、山の斜面に設置された養殖エビの水槽を温めるのにも使われている。エビの養殖はエネルギー多用する事業なだけに、地熱発電による養殖エビの販売で利益を上げるのが狙いだ

2011年の震災以来、日本で電気をつけ続けるのは費用的にも大変だった。

日本は石油やガス資源に乏しく、1973年のアラブ石油危機による石油価格の高騰以降、1970年代を通じて原子力発電への投資を拡大した。

2010年までに、国は電力生産の30%を原子力に依存するようになった。2020年までに依存度を50%以上にする目論見もあった。

震災後に国中の原子炉が稼動停止となり、大量の可燃ガスが輸入される事態となり、原発依存度はほぼゼロになった。

そうしたエネルギー状況の日本にとって、土湯地域のような小規模発電計画が日本の未来になり得ると中岩勝さんは信じている。

産業技術総合研究所、福島再生可能エネルギー研究所(FREA)所長の中岩さんは、日本の主要4島に広がる山がちな地形と天然温泉は、山水荘付近のように発電機にとって理想的な環境だと考える。

Image caption 東日本大震災の揺れの範囲

小さな町や山あいで再生可能エネルギーを推進しようと考えた場合、土湯のやり方は高い設置コストなしで済む優れた方法だと中岩さんは言う。国全体へ再生可能エネルギーを流通させるには、非常に現実的な解決策だというのだ。

中岩さんは、再生可能エネルギーの展望そのものには楽観的だ。しかし、国全体への普及にかかる時間については、現実的に捉えている。

FREAは2014年4月、再生可能エネルギー研究を実施・推進するため郡山市で発足した。

エネルギー資源のない日本にとって、再生可能エネルギーが頼みの綱だと中岩さんは言う。

経済産業省は、日本の電源構成は2030年になっても約20%は原子力に依存することになると報告している。その時点での石炭、石油、天然ガスの割合が合計50%以上で、再生可能エネルギーの割合は2015年の3.2%から23%程度に増えている見通しだ。

中岩さんは、2030年の時点ではまだ炭化水素にある程度は依存しているだろうが、再生可能エネルギーの利用は拡大しつつあると話す。ただし、原子力や炭化水素への依存度を減らし、2050年か2060年までには電源構成の80%を再生可能エネルギーが占めるようにする必要があると考えている。

Image caption 福島第1原発と第2原発で保守管理を担当した吉川さんは、経験を生かし、訪問者に事故について説明している。写真は、双葉郡楢葉町のコミュニティスペース「木戸の交民家」で撮影

福島第1原発事故の被害というと、放射線被害や孤独、精神医療の問題を思いがちだ。しかし、東日本大震災で受けた最大の傷は普通の日常へ戻ることの難しさだったと、東京電力の元社員、吉川彰浩さんは話す。

福島第1原発で働いていた吉川さんは現在、福島県いわき市で避難生活中だ。

なにもかも失うとはどういうことか自分は知っているし、それは他の人と話すべきことだというのが、吉川さんの思いだ。加えて、また同じような事故があった場合に今度は何が失われるのか、分析して情報を共有することもできると指摘する。

吉川さんは現在、破壊された福島第1原発の見学ツアーを企画し、訪れる人を案内している。情報共有こそ、大災害を乗り越えていくための大事な鍵だと考えているからだ。

自分はまだここにいるし、出ていくつもりもないので、次世代のために何かを作っていこう――。吉川さんはそう繰り返してきた。

「6年前には、知りたいけれども(原発には)近づきたくないと言われた。今では、知りたいし、実際に自分の目で見たいと言われる。それが違いです」

(英語記事 Fukushima's long road to recovery

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