子供のころの性虐待……大人になってから訴追できるように インド女性の闘い

プルニマ・ゴビンダラジュルさんは、虐待によって人生を「ずたずたにされた」と話す

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プルニマ・ゴビンダラジュルさんは、虐待によって人生を「ずたずたにされた」と話す

インドでは、子供に対する性的虐待を3年以内に通報しない限り、加害者が訴追されることはない。子供の頃に虐待を受け、大人になってもその経験を克服しようともがく被害者にとって、これは何を意味するか。つまり、虐待者は家族の身近にいることが多いというのに、その人物は決して裁かれないのだ。法改正を訴える虐待経験者に、BBCのギータ・パンディ記者が話を聞いた。

インド出身のカナダ人女性、プルニマ・ゴビンダラジュルさん(53)は最近、インドのマネカ・ガンジー女性児童開発相と面会した。子供時代に受けた性的虐待を大人になってから届け出ることができるよう、インド法の改正を働きかけるためだ。

ゴビンダラジュルさんはインド南部のチェンナイ(旧マドラス)で育ち、1986年にカナダへ渡った。6歳から13歳までの間、いとこの夫から日常的に虐待を受けていたという。

悪いことだと分からないまま

ガンジー氏はゴビンダラジュルさんに会った後、女性児童開発省として「幼少期に虐待を受けた人が、犯行から長い年月を経た後でも虐待者を通報できるようにする措置を検討している」と語った。現行法では、虐待が起きてから3年以内に訴える必要がある。

「夜中に目覚めると隣にあの男が座っていて、手や口で私の陰部に触れてきた」とゴビンダラジュルさんは話す。今は保全生物学の専門家として、カナダのブリティッシュコロンビア州政府に勤めている。

「挿入行為は、夜中や休暇中の旅行先での方がひどかった」ものの、虐待行為は日中も続いた。

「私が1人でいるのを見かけるたび、パンティーの中に指を入れてきてなで回したり、まさぐったりしていました」

ゴビンダラジュルさんが育ったチェンナイは保守的な土地柄だ。当時は自分のされていることが間違っているという考えも、自分が悪いわけではないという考えも全く浮かばなかったという。

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プルニマ・ゴビンダラジュルさんは最近、政府当局者と会うためにニューデリーを訪れた

「抗議するなど、考えたこともなかった。だって自分はよこしまで、汚くて、悪い子だと思っていたから。セックスのことは何一つ知らなかった。きょうだいは兄が3人。13歳で生理が始まった時、自分はがんだと思い込んだ」

「もうすぐ死ぬんだと覚悟したけど、そう思うとほっとした。だって生きているのがあまりにもみじめだったから」

だがそこへおばがやってきた。「血まみれの下着を見て、死ぬわけじゃないと安心させてくれた」という。

「女の人になったということだ、正常なことだとおばは言いました。赤ちゃんを産める体になったということだ、と。それから、だれにも体を触らせてはだめ、とも」

ゴビンダラジュルさんにとっては手遅れだったが、それでも良いアドバイスだった。

「あの言葉で私は初めて、自分にも何かしらの力があると感じることができた。だからその次にあの男が触ろうとしてきた時、私はやめてと言ったのです」

すると男は触るのをやめてこう言った。「わかった、お前がいやならやめておこう」と。

「私はその時、もっと早くこうしていればよかったのだと気付いた。なぜ今まで拒否しなかったのだろうと、激しく後悔しました」

そのせいでゴビンダラジュルさんは十代の間ずっと自己嫌悪に苦しみ、「うつ状態と自殺願望」が続いたという。

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ゴビンダラジュルさんの兄、カルン・タンジャブルさんは、妹が親族から日常的に虐待されていたなど「これっぽっちも思わなかった」ことが「何より残念」だと話す

もしかして私の父では

インドにおいて、近親相姦と子供への性的虐待は深刻な問題だ。2007年の政府調査では、何らかの性的虐待を受けたことがあると答えた子供が全体の53パーセントを占めた。虐待加害者の内訳では親や親戚、学校の教師など、子供の「保護監督や世話」をする立場の人がかなりの数に上ることも明らかになった。

しかしインド社会では全般的に、そういうことを話題にしたがらない風潮があり、家族からの虐待が通報されることはめったにない。

それだけに、自分と同じような体験をしている人が大勢いるなど思いもよらなかったと、ゴビンダラジュルさんが言うのも無理はない。

カナダへ渡った後の1980年代末、子供への性的虐待を扱ったテレビ番組を見た時に初めて、そういうことだったのかと理解した。

「兄の家で兄嫁と一緒にソファーに座り、チャンネルをあれこれ替えている時にたまたまその番組を見かけて、私だけじゃないと分かったのです。私はよこしまな子でも悪い子でも、汚い子でもなかったと」

インド南部にある一部のヒンドゥー教地域では、親類同士の結婚が珍しくない。兄嫁はゴビンダラジュルさんの幼なじみで、ほかでもない、あの虐待加害者の娘だった。

「インドではあり得ないことだと兄嫁が言うので、そんなことはない、私も同じことをされたと言い返した。すると兄嫁は、私の父さんでしょう、と尋ねてきました」

ほかの親族にも思い当たるふしがあった。「あいつはお前をやたらとかわいがったが、お前はあいつを毛嫌いしていた」と、だれもが口をそろえた。

しかしゴビンダラジュルさんや家族が行動を起こしたのは、それからさらに数年後のことだった。

1999年、兄がチェンナイを訪れた時に加害者の男を問いただした。

「男は初めのうち否定していたけれど、やがてこう言った。『あの子を触ったのは確かだけど、いつも愛情を込めてやっていたことだ』と。自分の娘にそういう触り方をしたことがあるか、と兄が質問したら、男はとんでもないと答えた」

「ほかにもだれかを触ったことがあるのか、と兄が尋ねると、あの男は『余計なお世話だ』とはねつけた」「それから『少なくともペニスを使ったことは一度もない』とつけ足した。もしかしたら、自分は何も違法なことはしていない、と言いたかったのかもしれません」

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インドで最近相次いだ子供への性的虐待に、市民から怒りと抗議の声が上がっている

許しなさいと言われ

「兄はあの男の妻、つまり私のいとことも話をした。いとこは『心当たりがある』と言った。『夫が夜、あの子のベッドの近くにいるのを見かけることがあった。でもそういう時はいつも、あの子が悪夢でうなされていたのをなだめてやっただけだと言っていた』と」

いとこはゴビンダラジュルさんに電話をかけてきて、昔のことは水に流すのが一番だと言った。

「『私は夫を許した、あなたも許しなさい。あの人は私にとって神様。私はあの人と結婚しているのだから』と言われました。それ以来、いとことは口をきいていません。とても大きなものを失いました。いとこは姉のような存在だったのに」

兄はインドから戻るとすぐ、遠縁を含めて親族一同にメールを送った。すると別のいとこが兄にこっそりと、自分も同じ男から虐待されていたと打ち明けてきた。

兄もほかの家族もゴビンダラジュルさんの味方になって手を差し伸べ、あの男を二度と子供に近付けないようにすると約束してくれた。

しかしゴビンダラジュルさんが2013年、寝たきりになって外出できないおばを見舞うために男の家を訪ねた時も、状況はほとんど変わっていない様子だった。

ついに警察に

そこで2015年、ゴビンダラジュルさんは悩んだ末に、つらくても告白しようと決意した。「カナダの警察に行って被害を届けたいと申し出たが、管轄外だと言われた」という。虐待が起きたのはインドで、関係者もみんなインドに住んでいるから、と。

「それでも警察はとても親切に相談に乗ってくれた。チェンナイの警察あてに被害届を書いてくれました」

チェンナイ警察も「すごく親身になってくれた」のだが、時効を過ぎていて訴追はできないと言われた。

それでゴビンダラジュルさんは昨年8月、キャンペーン・サイト「Change.org」に請願書を掲載した。虐待加害者による再犯を防ぐため、子供時代の被害を成人してから通報できるようにする法改正を求める内容だ。

4月初め現在で、請願にはすでに22万以上の署名が集まった。女性児童開発相の賛同も得ることができた。

ガンジー女性児童開発相は今年2月3日、回答文をChange.orgの請願ページに投稿した。

「カニモジ議員が最近、子供時代に性的虐待を経験したプルニマさんとともに面会に来て、幼少期の性的被害を何年も経った成人後に通報できるようにするための手助けを求められました。プルニマさんは何十年も前のトラウマが克服できないとおっしゃっていました。

虐待されている子供たちには勇気がなく、大人になってからでないと通報できません。プルニマさんのように、大人になってから初めて自分が虐待されていたことに気付く例もたくさんあります。トラウマは生涯残ります」

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インドの一部マスコミが最近、加害者の男を取材したが、男はゴビンダラジュルさんの訴えに対する反応を拒否した。あるウェブサイトの取材には、「この件についてはもう去年、警察に話した。それ以上何も言いたいことはない」と語った。

だがゴビンダラジュルさんは、個人的に裁きを求めているだけではないと強調する。もっと言うなら、あの男が訴追される見込みはほとんどないと思っている。ゴビンダラジュルさんはそう話す。

「相手はもう75歳だし、もし裁判になったとしても長い時間がかかるでしょう。そんなに生きてはいないかもしれない。でもこういう人たちはほとんどの場合、同じことを繰り返す。ほかの子供たちを守ってあげられなかったら私の責任だと思う。少なくともあの男がこの先、ほかの子供を虐待するのを防ぐことは、私たちにもできる」

虐待された経験は自分の人生全体に影響を及ぼしたと、ゴビンダラジュルさんは言う。「恋愛はなかなかうまくいかず、子供を持つこともできませんでした」。

ただ、自分が被害を公表してから加害者の社会的地位は傷つき、ほかのいとこたちもつきあいを断った。そのことがいくらか慰めにはなっている。

だが公表するという決断に、一番上の兄は賛成してくれなかった。男の息子や娘に恥をかかせることになるかもしれないから、と長兄は言う。

「でも私に言わせれば、この話に出てくる犯罪者は1人だけ。そしてそれは私ではありません」と、ゴビンダラジュルさんは力を込めた。