サッカーは普遍的宗教? ロシアW杯5つの写真と、そっくりな宗教画

ケリー・グロヴィ

Artwork and World Cup 2018 action Image copyright Getty Images

2018年サッカーワールドカップ(W杯)ロシア大会には、象徴的な瞬間がいくつもあった。詩人で批評家のケリー・グロヴィア氏が、大会の印象的な写真5枚を選び、そっくりな宗教画と並べてみた(以下、敬称略)。

美しい競技? サッカーは「聖なる競技」と改名すべきだ。この世の全てについて何も同意できない人たちは、ことサッカーのことは、それぐらい恭しく崇敬しているのだから。

ディエゴ・マラドーナはかつて自分の手を、「神の手」と勘違いした。そのマラドーナは「サッカーは競技ではない。スポーツでもない。宗教なのだ」と主張するし、「史上最も偉大な選手」の座をマラドーナと争うペレも、同じようにサッカーを信仰している。

ペレはある時、こう告白した。「サッカーは私にとって宗教のようなものだ。私はボールを崇拝し、それを神のように扱う」。

ペレやマラドーナはサッカーという筋肉信仰の神々だ。そして、この神聖な娯楽に果てしない宗教的情熱を捧げてきたのは、ほかにも大勢いる。

W杯という4年後との宗教儀式では、難局を(時には文字通り)乗り越える選手たちが、この世のものとも思えない超絶した働きを見せる。1カ月続く聖なる儀式が、どれほどの熱狂を駆り立てることか。その狂乱のほどを思えば、W杯で撮影される実に多くの写真が、ほとんど宗教的な激しさで打ち震えているのも、特に不思議ではない。

これから紹介するのは、昨年夏のW杯で特に印象的だった写真のごく一部だ。あわせて、同じ精神を共有する宗教画の傑作も紹介する。

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Image caption コロンビアのジェリー・ミナは6月24日、カザン・アリーナでチームのロシアW杯初ゴールを決めた

ジェリー・ミナ / ジョン・シングルトン・コプリー「キリストの昇天」(1775)

6月24日のコロンビア対ポーランド、前半40分にチームメイトのハメス・ロドリゲスが上げたペナルティエリア内へと上げたクロスを、ジェリー・ミナが天へと飛び上がって叩き込んだ。ミナのチームメイトたちは、この飛翔を神がかった上昇の瞬間だと思ったに違いない。このゴールの結果、コロンビアはグループステージ初勝利を挙げた。

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Image caption ジョン・シングルトン・コプリー「キリストの昇天」(1775)

写真家のアレックス・リヴジーは、空中に浮かぶミナの体がボールに触れる瞬間をとらえた。ミナの周囲にいる全ての人がぽかんと口を開け、信じられない表情をして、畏敬の念に打たれたように固まっている。

まるで奇跡を目撃したかのような選手たちの様子は、キリストの昇天を描く伝統的な宗教画の構図を思い起こさせる。イエスはふわりと宙に浮き上がり、雲の割れ目に向かって上昇していくという、使徒言行録第1章の光景だ。イギリス系米国人の画家、ジョン・シングルトン・コプリーは、この光景をかなりキッチュな画法で描いた。しかし、リヴジーのカメラがとらえた瞬間は、コプリーの絵の芸術表現と同じくらい劇的で、この世を超越したものだ。

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Image caption メキシコのミゲル・ラジュンがボールを奪いにいくと、ブラジルのネイマールは足を痛めてピッチに倒れた。7月2日、決勝トーナメント1回戦のブラジル対メキシコで

ネイマールの懐疑 / カラヴァッジョ「聖トマスの懐疑」

何かに懐疑的な人は、聖書を愛読する人から「疑い深いトマス」と呼ばれる恐れがある。ファールされると(もしくは、ファールされそうになると)過剰な演技をすると評判のネイマールは、7月2日の試合でメキシコのミゲル・ラジュンに接触され、激しい苦痛に顔をゆがめて崩れ落ちた。反ネイマール派の人々は、本当はけがなどしていないのではないかと疑っていた。

体をねじり転げまわるネイマールの周りには、たちまち審判、コーチ、選手が集まった。ネイマールの痛みが本当なのか見せ掛けなのか、真実を知ろうといら立ちながら。その様子はまるで、復活したキリストを数人取り囲み、使徒トマスが、キリストの傷が本物かを確かめるため弟子のトマスが傷を指でつつく瞬間を描いた絵画のようだった。

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Image caption カラヴァッジョ「聖トマスの懐疑」(1600-1601)

カラヴァッジョは傑作「聖トマスの懐疑」で、陰影の濃い世界を描き出した。ブラジルとメキシコが対戦した、照明が明るすぎるロシア・サマラのアリーナとは、一見あまりにかけ離れているかもしれない。しかし、ブダ・メンデス氏の写真は、ブラジルの救世主ネイマールを取り囲む人々の眉間のしわを、くっきり写し出した。疑い深い眉間のしわは時代を超越するほど深く、同時に、まさにあの一瞬を表現するものだった。

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Image caption ベルギーDFバンサン・コンパニ(左)が日本のGK川島永嗣からゴールを奪おうとする。7月2日、ベルギー対日本

川島永嗣 対 バンサン・コンパニ / ジョット「聖痕を受ける聖フランチェスコ」

ベルギーのヴァンサン・コンパニによる空中シュートを止めるため、日本のGK川島永嗣は有り得ないほど体を伸ばす離れ業を繰り出そうとしている。ペトル・デイヴィッド・ジョセク撮影の感動的な写真は、川島の上昇する肉体を捉えた。その様子は、聖フランチェスコの上をハチドリのように浮き上がるキリストの絵にそっくりだ(翼のあるキリストの絵は比較的珍しい)。聖フランチェスコはこの場面で、キリストが十字架で受けたものと同じ傷をキリストから与えられている。

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Image caption ジョット「聖痕を受ける聖フランチェスコ」(1295-1300)

この場面を描いたジョットの有名な絵は、キリストの苦しみがキリスト自身から聖フランチェスコに移動する奇跡を描いたものだ。キリストの手足からスパイダーマンのような繊維が放たれ、絡み合い、聖痕を聖フランチェスコにも与えている。

一方のジョセクの写真ではまるで、川島の体から放たれるワイヤーの網がコンパニの空中戦を阻み、コンパニを天からつるして制止させているかのような印象がある。選手たちの後方にある、ピントの合っていない金属の骨組みが、ほとんど無意識的にその印象を見る者に与える。加えて選手たちの背後、つまり写真右側に白いゴールネットが大きく開いているのも、思いがけず効果を増幅している。

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Image caption 米国のマーク・ガイガー主審がペナルティキックの判定を下すと、選手たちは様々な反応を見せた。7月3日、コロンビア対イングランド

張り付けにされる審判 / カラヴァジョ「キリストの捕縛」

きわどい判定が相次いだ後、イングランドとコロンビア両チームの選手たちが米国人のマーク・ガイガー主審に詰め寄った。この緊迫した写真は、まるで傑作バロック絵画のように劇的だ。モスクワのスパルタク・スタジアムで7月5日にあった試合では、暴力沙汰寸前の争いが何度もあった。

一触即発の選手たちに取り囲まれ、難しい判定でメディアに処刑されるかもしれないという予感が迫りくる中、ガイガー主審は平静を保とうとしている。その苦心の様子を、ユーリ・コチェコフの写真は切り取った。

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Image caption カラヴァッジョ「キリストの捕縛」(1602)

下に向かう主審のまなざしは張り詰めつつも、内省的だ。周りが次々に腕を伸ばし、非難のまなざしを浴びせている。それでも厳粛な主審の面持ちは、カラヴァッジョが17世紀に描いた絵画「キリストの捕縛」(1602)の、暗い不穏と濃い陰影を駆使した見せ方を思い起こさせる。

カラヴァッジョの絵では、神殿の護衛がキリストに詰め寄っている。ユダはキリストに口づけをし、密かにその人物がキリストだと明らかにしている。コチェコフの写真とカラヴァッジョの絵はいずれも、視界の手前に複数の人物のアップを詰め込み、劇的効果を強調している。結果として写真も絵も、閉塞感あふれる息苦しいものとなり、見る者は自分がもみ合う集団の中にいるような感覚を味わうのだ。

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Image caption デレ・アリ(左)、ハリー・ケイン(右)、マリオ・マンジュキッチ(中央下)そしてデヤン・ロブレンがボールを奪い合う。準決勝のイングランド対クロアチア

準決勝の顔 / ボス「十字架を担うキリスト」

ヴァレリー・シャリフリンは、準決勝でイングランドとクロアチアの選手たちがぶつかり合う様子を撮影した。歪んだ顔と顔が衝突し合う写真だ。まるで画家ヒエロニムス・ボスの夢の世界かなにかのように、グロテスクで狂騒的だ。初期ネーデルラント派のボス(もしくはボスの弟子)が、油絵「十字架を担うキリスト」で、様々なしかめっ面やにらみ顔を書き並べて以来、これほど多くのゆがんだ表情が1つの画面を乱すことはなかった。

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Image caption ヒエロニムス・ボス「十字架を担うキリスト」(1510-16ごろ)

イングランドのハリー・ケインとデレ・アリ、クロアチアのマリオ・マンジュキッチとデヤン・ロヴレンの表情は、どれもほとんど原型をとどめないほどに歪み固まり、滑稽であるがゆえに目が離せないほどぎこちない。シャリフリンの写真と並べ置くと、ボスのアトリエから生み出された数々の歪んだ顔は、私たちに物語る。どんな壮大で劇的な物語でも、尊厳を維持できる主人公は良くて1人しかいないのだと。その周りの者たちは、どれほど信仰心厚く、情熱にかられていたとしても、その表情はこうして滑稽にゆがんでいるのだと。

W杯で最終的に誰が救世主になるのかは、もちろん、決勝戦の最後の笛が鳴るまで決まらない。

(英語記事 Is football the universal religion?

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