【解説】 メイ首相、ともかくもいっぱいいっぱいだった

ローラ・クンスバーグ政治編集長

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【全訳】 メイ英首相、辞任会見 「愛する国に仕えた」と涙声で

テリーザ・メイ首相はともかくも、いっぱいいっぱいだった。自ら率いる与党・保守党の分裂に、自分にはそれを修復できる政治手腕がないことに、まったく対応できなかった。

メイ首相は当初、自分が政界で必死になって人脈づくりに力を入れるタイプの政治家ではないことを、自慢にしていた。議事堂のバーにたむろするような、派閥がすべての政治家ではないと。加えてメイ氏は、めったに私生活や私情を表に出さない政治家だった。

しかしそれは裏を返せば、苦しい時に助けてくれる本当の友人も後ろ盾も少なく、他人を説得する口八丁手八丁の手腕も持っていなかったということになる。

就任から3年がたった今でさえ、メイ首相をよく知っている閣僚はほとんどいない。

ある閣僚は、「事態が厳しくなればなるほど、メイ氏が近くに置く側近の数は限られていった」と話す。別の閣僚は、「信頼も信用もなかった」と漏らしている。

保守党は欧州との関係について、何十年も前からもめてきた。その決着など何がどうあっても、1人の首相の手に負えるものではなかったかもしれない。

しかし、その傷はメイ政権下で消えるどころか、かえって痛みが増してしまった。

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メイ氏はまた、欧州連合(EU)離脱政策をめぐる反論にも、まったく対応しきれなかった。メイ氏自身は当初ブレグジット(イギリスのEU離脱)に消極的な親EU派だったが、保守党に対して自分はブレグジットを実現したいのだと意思表示し続けてきた。

その結果、単純で分かりやすい協定が成り立たなくなった。メイ氏が、厳しい条件を設けたからだ。そのせいで出来上がった協定は、誰も積極的に支持できない、居心地の悪い妥協の産物だった。国民は国民投票では二者択一の分かりやすい選択肢で、離脱を選んだのに。

そして、内閣はおろかメイ氏自身さえ結局のところ、離脱協定をそこまで熱心に支持しているわけではなかった。

辞任発表で、メイ首相は妥協の重要性を訴えた。しかし、そう言う当の首相こそ、もっと以前に妥協を受け入れるべきだった、譲歩姿勢を示したのがあまりに遅かったと、すでに批判が飛び交っている。

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メイ政権はずっと前から破綻していた。3年近くも保守党独自の戦略に固執した後に、たった数週間で他党と何らかの合意形成ができるなど、そもそもありえなかった。

また、メイ氏が譲歩の結果、2度目の国民投票実施の可能性を含む法案を通そうとした途端、閣僚が一斉に背を向けたことも特筆すべきだろう。国民投票は、やがて来る党首選の際に障害となるかもしれない案だった。

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そしてもちろん、メイ氏は議会にもまったく対応できていなかった。

2017年総選挙の翌朝、ある保守党幹部から聞いた言葉が忘れられない。「これからは自分と仲間6人がいれば、何でも阻止できるようになる」とその人は私に言った。

ものすごい先見の明だった。英下院は今や、現実的な政策を目指す大多数よりも、思想的に純粋な政策を追求する少人数の会派が優勢だという、そういう場所になってしまった。

メイ首相の辞任表明は、ウェストミンスター(イギリス議会)そのものの破綻に、ひとつの区切りをつける。しかし、次期首相がこれを成功に転換できる見込みはどこにもない。

辞任するメイ氏について、やる気が足りなかったなどという批判は、絶対にあてはまらない。

メイ首相にとって辞任発表は見るからに辛いもので、最後には涙声になった。辞任を発表し終えたデイヴィッド・キャメロン前首相が、ショッキングなほど気楽な様子で口笛を吹きながら首相官邸に戻ったのと、実に対照的だ。

この劇的な瞬間においても、メイ氏は家庭内暴力(DV)を防ぐ政策、人種差別への対応、住宅不足問題に取り組んだことなど、自分がどういう変化を実現したか、強調しようとした。

しかし、この国の歴史がメイ政権を語るとき、彼女はブレグジットを実現できなかった人として記録される。それは本人も分かっているはずだ。

あまりに巨大な難問を前に、メイ氏は最初から能力不足だったのかもしれない。メイ氏はいっぱいいっぱいだったが、国民と保守党は彼女にがっかりして終わった。

(英語記事 Kuenssberg: May was just overwhelmed

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