【美土路の見どころ】 ラグビーの可能性示した南アフリカ = W杯日本大会を振り返って

美土路昭一(みどろ・しょういち)

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Image caption 優勝トロフィー「ウェブ・エリス・カップ」を掲げる南アフリカのコリシ主将とチームの仲間たち

日本の躍進に国中が沸き、南アフリカの優勝に多くの人が感動した。ラグビーW杯日本大会は、スポーツに何ができるのかを示した大会となった。

ラグビーのワールドカップ(W杯)日本大会で12年ぶり3度目の優勝を果たしたスプリングボクス(南アフリカ代表チームの愛称)の第一陣が、5日午後(日本時間6日未明)にヨハネスブルクの空港に降り立ち、何千人もの国民の熱烈な出迎えを受けた

今大会では、様々なバックグラウンドを持つ選手が「ONE TEAM」となって戦った日本代表チームの快進撃が「おとぎ話」に例えられた。

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Image caption ヨハネスブルク国際空港には、南アフリカ代表選手の帰国を待ち受ける多くのサポーターが詰めかけた

しかし南アフリカ代表チームは、アパルトヘイト(人種隔離)政策という重い過去に今も苦しむ国民をスポーツで一つにするという、より壮大なおとぎ話を完結させた。

南アフリカのための大会

開幕前に一番注目されたのは、オールブラックス(ニュージーランド代表チームの愛称)が3連覇を達成できるかどうか、だった。

ところが始まってみると、1次リーグ4戦全勝で史上初の決勝トーナメントに進んだ日本代表チームと、おもてなしの心を大いに発揮した日本という国が一躍主役の座を独占した。

日本が敗退すると、見事な戦いぶりでオールブラックスを下したイングランドが主役に躍り出たかに見えた。

しかし、終わってみれば、国民の期待を背負って戦ったスプリングボクスのための大会だった。

「母国のために戦った」

個人的な思い出になってしまうが、私は1995年に南アフリカが自国開催のW杯で初出場、初優勝を果たすのを、朝日新聞のラグビー担当記者として現地で取材した。

背番号「6」のスプリングボクスのジャージーを着たネルソン・マンデラ大統領が、同じ背番号をつけたユグノーの末裔(まつえい)の白人キャプテン、フランソワ・ピーナールにウェブ・エリス・カップを手渡す瞬間を現地で目撃した。

それだけに、24年の時を経て、スプリングボクス初の黒人キャプテン、シヤ・コリシが同じ背番号「6」をつけて国民の統合のシンボルになったことが、実に感慨深い。

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Image caption 1995年の南アフリカ大会では、前年に大統領に就任したマンデラ氏(左)がピーナール主将に優勝トロフィーを授与した

あの時、ピーナールは決勝終了直後のインタビューで「(競技場に集まった)6万5000人の南アフリカ国民のものすごい後押しがあった」と向けられると、「6万5000人じゃない。(全国民の)4300万人だ」と即答。大歓声を浴びた。

今回の決勝の後、プレーヤー・オブ・ザ・マッチ(最優秀選手)に選ばれたドゥエイン・フェルミューレンは「自分たちのためだけでなく、母国の5700万人の国民のために戦った」と喜びを語っている。

「特権に取り組んできた」

初の栄冠から今回の優勝までの間に、南アフリカの人口は30%以上も増えた。一方で、アパルトヘイト撤廃後も、人種を超えた国民の統合は必ずしも順調には進んでいない。

決勝当日、コリシの故郷ズウィデで取材した朝日新聞の石原孝記者は「アパルトヘイト政策の廃止後も、人種差別が完全に解消されたとは言えない南アの現実がある」と書いている。

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Image caption 南アフリカ初の黒人キャプテンのコリシは、優勝を決めた後、娘を抱いて観客の歓声にこたえた

南アフリカの現状と、スプリンボクスが担った使命については、ラシー・エラスムス監督が試合後の記者会見で述べたコメントが全てを言い尽くしている。

「南アフリカでプレッシャーとは、やるべき仕事があることではない。プレッシャーとは近しい親族が殺されることだ。」

「ラグビーは希望を創り出すものであるべきだ。私たちには人々に希望を与える特権がある」

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Image caption 南アフリカ・ケープタウンのパブリックビューイング会場で、代表チームの勝利に沸くサポーターたち

「希望とは、我々が良いプレーをして、人々がその試合をみて、ブライ(南アフリカのバーベキュー)を楽しみ、しばらく楽しい気分になることだ。政治的信条や宗教の違いにかかわらず、(試合を観ている)80分間は、普段は一致できないことにも一致できる」

「私たちは、問題を解決しようとするのは義務ではなく特権と受け止めた。そう考えて以来、自分たちはこの大会でずっとその特権に取り組んできた」

スポーツの力を見せた

英ガーディアン紙のアンディー・ブル記者は、「エラスムス監督の言葉通り、W杯決勝は80分間、国に一体感をもたらしたし、お互いの立場の違いをいったん横に置いた母国の人たちは試合後も数時間、幸福感に浸ることができた。しかし、それだけだ。この勝利で社会の問題が解決されるわけではない」と書いている。

それでも、マンデラ大統領がかつて、「スポーツには世界を変える力がある。スポーツには人々を奮い立たせ、人々を一つにする、他にはない力がある。スポーツは、かつて絶望しかなかったところに希望を創り出すことができる」と言った通り、スプリングボクスはスポーツが持つ力と可能性を24年前に続いて、改めて世界に示した。

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Image caption ヨハネスブルクのネルソン・マンデラ広場で南アフリカ代表の優勝を喜ぶサポーターたち

今大会を総括する3日の記者会見で、W杯を主催した国際統括団体、ワールドラグビー会長のサー・ビル・ボウモントは、「2019年日本大会はおそらく過去最高のラグビーW杯として記憶されるだろう」と称賛した。

ワールドラグビーが「記録破り」と絶賛するチケットセールスやテレビ視聴実績などは、もちろんいずれも素晴らしいことだ。しかし、この大会の成功において特筆すべき意義は、数字では測れない大切な価値を国内外に示したことだと思う。

スプリングボクスの優勝がスポーツの持つ力を示したと同様に、この大会はスポーツの持つ価値を改めて広く世に示すことができた。

衝突と友情と

同じスポーツを愛する者同士として対戦相手に敬意を払う「ノーサイドの精神」は、決してラグビー特有のものではない。スポーツ全般に共通の基本的な価値だ。

しかし、ラグビーは肉体的接触で相手を凌駕(りょうが)することが根幹にある競技。文春オンラインに掲載された記事の中で、早稲田大学ラグビー蹴球部のチームドクターを務める鈴木一秀医師は、ラグビーは「広義で見ればコンタクトスポーツの範疇にありますが、実際にはさらにその先の"コリジョンスポーツ"、つまり衝突を前提とした競技、という部類に入ります」と話している。

試合中にそれだけ激しいプレーをしているだけに、試合後の交流と友情のコントラストが他の競技よりも際だって見えるのだ。

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Image caption ラグビーは体と体を激しくぶつけ合うスポーツだ

試合後はすぐに抱き合ってお互いの健闘を称え、花道を作って相手チームを送り出す。ニュージーランドとアイルランドの準々決勝の後は、両チームの29人が花道を作って、この試合を最後に引退する世界のラグビー界のレジェンド、アイルランドのキャプテン、ローリ−・ベスト1人を待った(正確には、ベストはバーバリアンズの一員として最低もう1試合はプレーする予定)。

ラグビー界に長く残る伝統と選手の行動は、スポーツの持つ価値をわかりやすい形で多くの人の心に届けたと思う。

ノーサイドの精神を体現

こうした尊いスポーツの価値を、明快な一言で表すキーワードがあったことも大きかった。プロ化、近代化の波に乗り遅れた日本ラグビー界が、いわばガラパゴス化したおかげで、本場では忘れ去られた「ノーサイド」という言葉がずっと生き続けてきた。

来年開かれる東京オリンピックは、本来大いに祝福されるべき世界最大のスポーツの祭典だ。ところが、開催決定以来、話題になるのは準備や運営における問題や不手際、トラブルばかり。

一方、このW杯は、主役であるスポーツの純粋な魅力と、それをプレーする選手、楽しむファンの素晴らしさをストレートに再確認できる機会になった。

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Image caption 試合が終わると敵だった選手たちと健闘をたたえ合う

こうした点において、ラグビーは開催にあたってお世話になった日本のスポーツ界に対する一定の責任を果たせたと思う。

開幕戦が行われた東京スタジアム、決勝の舞台となった横浜国際総合競技場など、12の試合会場のうち9カ所はJリーグで使用され、うち7カ所はクラブのホームスタジアムだった。東京スタジアムは3位決定戦までほぼ会期いっぱい使用されたため、本拠とするFC東京は、優勝争い真っただ中の時期に8節連続アウェーで戦うことになった。

そもそもW杯を開催できたのは、こうした協力があってこそ。各クラブにもサポーターにも「貸したかいがあった」と思ってもらえる結果になったのではないか。

専用スタジアムの問題

今から7年前、日本ラグビーフットボール協会の広報・プロモーション部長だった私は、2019年W杯の試合会場選定委員会のワーキンググループに参加していた。そこでまとめた理念では、W杯開催を機に陸上競技場が多い日本のスタジアム事情を変えるべく、「開催のレガシーとして、国内に利便性の高いフットボール専用スタジアムを増やす」ことを掲げた。

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Image caption 釜石鵜住居復興スタジアム(岩手県釜石市)はW杯開催に伴って新設された唯一の競技場だ

しかし、W杯開催に伴って新設されたのは釜石鵜住居復興スタジアムのみ。地域の身の丈に合った6000人規模に戻るスタジアムに、そこまでのレガシーを担わせるのは流石に荷が重い。残念ながら、この点においては、あの時描いていた理想は実現できなかった。

日本ラグビー協会は20年以内のW杯招致を表明したが、日本サッカー協会も「JFAの約束2050」の中で2050年までのFIFAワールドカップ国内再開催を掲げている。どちらが先になるにしても、アメリカンフットボールも含めたフットボール文化の発展のためのスタジアム整備は、日本ラグビー界の課題として残った。

日本人の価値観が表出

もう一つの成果は、既に広く論じられているように、日本人が持つ「おもてなし」の心を世界に発信したことだ。

大会オフィシャルスポンサーの三菱地所グループが決勝翌日に新聞に出した全面広告に、「ラグビーは、教えてくれた。深いリスペクトの精神を。礼を重んじることの大切さを。無償で尽くす心の尊さを」という下りがあった。しかしこれは、ラグビーが教えたのではなく、元々日本人が持っていた価値観を発揮する場所を、ラグビーが提供したのではないかと思う。

私は東京スタジアムでの試合の帰路は、毎回、小田急線狛江駅行きのシャトルバスを利用した。試合終了から1時間以上たった後に駅に着くと、そこにはまだボランティアの姿があった。

彼ら彼女らは、試合はおろか選手を垣間見ることもない、競技場の興奮や感動から遠く離れたところで、自分たちの役目を果たしていた。ボランティアは大会の重要で本当に尊い一部だった。来年の東京オリンピックでは、今回の経験をいかし、ボランティアに参加する人の思いを搾取するのではなく最大限発揮させる運営が実現できるか注目される。

各地の取り組みあってこそ

大会の成功は、開催都市やキャンプ地などの地方自治体の果たした役割を抜きには語れない。

ウェールズの事前キャンプ地となった北九州市が最たる例だ。開幕前日に会った旧知のワールドラグビーの広報スタッフは「公開練習に市民が1万5000人も集まるなんて」と驚いていた。ウェールズ側が返礼に出した新聞の全面広告も話題になった。

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Image caption ニュージーランド代表「オール・ブラックス」の歓迎セレモニーで、ニュージーランド先住民マオリの戦いの踊り「ハカ」を披露した子供たち

スプリングボクスを迎えた鹿児島市、オールブラックスを受け入れた柏市など、開幕前の各地域での歓迎と交流のニュースも、本番への機運を大きく盛り上げた。従来は交通の便が極めて悪いと不評だった熊谷ラグビー場のアクセスを劇的に変えた熊谷市など、運営面でも努力の成果は大きかった。

また、台風19号通過直後の10月13日に日本とスコットランド戦の開催を実現した、横浜国際総合競技場での関係者の尽力は、ワールドラグビーや海外メディアにも大きな感銘を与えた。

アジア全体を見据えて

「一生に一度だ。」という秀逸な大会キャッチコピーのおかげで、チケットは99.3%という高い割合で売れた。一方、興行の希少性という特徴ばかりが前面に出て、開催の大義が忘れられた感もあった。

日本招致委員会が国際ラグビーボード(現ワールドラグビー)の理事に訴えたのは「Tender for Asia(アジアのための招致活動)」だった。日本ラグビー協会の清宮克幸・副会長は、 NewsPicksの記事で、「日本がワールドカップ招致に手を挙げたとき、そこには『アジア初の開催を機に、アジアに住む何十億もの人々にラグビーというスポーツを根付かせたい』という思いがあった。世界から見ても、今回の日本開催がアジア各国にどんなパスを回していくのか、そこに対する期待値は高いはずだ」と話している。

北米のプロリーグ「メジャーリーグラグビー」は、地元のアメリカとカナダだけでなく、ウルグアイの代表選手の貴重な強化の場になっている。

日本でもラグビーのプロリーグ立ち上げを望む声がある。実現させるなら、一国の利益を追うのではなく、アジア地域全体の強化につながるような存在にする責任があるだろう。

構造的ボトルネック

国内のラグビースクールの関係者によると、W杯を機に、入校を希望する子どもや問い合わせが急増しているという。一方で、「子どもたちの人数が増えるのは嬉しいが、グラウンドの広さには限りがある」という悩みも聞こえてくる。

少子高齢化が進む日本では、当然、ラグビー人口も減っている。例えば、今年度の全国高校大会都予選に単独で出場した高校は2地区で計47校。私が高校生だった約40年前の5割強まで落ち込んでいる。

ラグビーの場合、若年世代の競技活動は学校の運動部が中心。せっかくスクールでラグビーを始めても、中学校に進学するとラグビー部がないためにやめてしまい、高校まで続かない「中学校問題」が存在する。

昨年度末の数字で、小学校年代(6歳以上12歳未満)の選手数は約1万8000人。ところが、中学校年代(12歳以上15歳未満)になると1万1000人弱となってしまう。高校の選手数は2万3000人弱なので、中学校世代の少なさは明らかだ。

この構造的なボトルネックを解決しない限り、日本のラグビー人口増にはつながらない。

成功見越して準備したか

2015年イングランド大会の組織委員会を、開催2年前の2013年に視察した。そのとき彼らは「2003年W杯でイングランドが優勝すると、ラグビーをプレーしたい人が激増したが、受け皿不足でそのブームを生かし切れなかった。今回は事前に十分受け皿を整備しておく」と、すでに準備を進めていた。

日本ラグビー協会は2015年W杯の後、南アフリカ戦勝利による人気の急騰をいかせなかった、大きな失敗体験がある。

そこから何を学び、今回の日本代表の躍進とW杯の成功をどれだけ予想して、どんな施策を準備していたかが問われることになる。

ティア2の国で開催となれば

最後に、もう一つだけ、個人的な経験に基づいて書きたい。

2013年11月、私は国際ラグビーボード(現ワールドラグビー)がダブリンで開催したワールドラグビー・カンファレンスアンドエキジビションの基調討論会でパネリストを務めた。

2019年のW杯日本大会開催の意義を、私はアップルの有名なキャッチフレーズを拝借して「『Rest of Us』のためのW杯」と話し、「ティア2の日本が立派にW杯を開催できれば、(伝統国以外の)アルゼンチンや、アメリカといった他のティア2の国々にも道を開ける」と訴えた。

ワールドラグビーのボウモント会長は3日の記者会見で、2027年と2031年の両W杯の開催国を同時に決定する方針を明らかにした。これは、初の伝統国以外の開催国となった2019年の日本を、確実に成功が期待できた2015年のイングランドとセットで決定した方式にならったものだ。

アメリカやロシアなどのティア2の国が2027年か2031年のW杯の開催国に選ばれれば、それもまた、今大会の大きなレガシーとなるだろう。

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※アジア初開催ラグビーW杯日本大会に合わせBBC NEWS JAPANで掲載してきた、美土路昭一氏のコラム<美土路の見どころ>は今回が最後となります。

美土路昭一(みどろ・しょういち) 朝日新聞記者(ラグビー担当)としてラグビーW杯1995南アフリカ大会を取材。元日本ラグビーフットボール協会広報・プロモーション部長。早稲田大ラグビー部時代のポジションはSH。1961年生まれ。

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