BBCニュースで最も読まれた「2010年代」の記事は?

ハリエット・エイガーホーム、BBCニュース

Peaches Geldof, a bus burning during the London riots, and Barack Obama Image copyright Getty Images

2010年1月。アメリカではバラク・オバマ大統領が任期1年目を迎えていた。インスタグラムも、ブレグジット(イギリスの欧州連合離脱)という言葉もまだ発明されていなかった。

あれから10年。2020年を前に、2010年代にBBCニュースサイトで最も読まれた記事を、1年ごとに振り返ってみよう。

2010年:チリ・コピアポ鉱山落盤事故、33人全員救助

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Image caption 作業員の1人、フアン・イリャネスさん(中央)が、特製カプセルで地上に引き上げられた。写真は2010年10月13日のもの

2010年8月、チリのコピアポ鉱山で落盤事故が発生し、作業員33人が坑道内に閉じ込められた。

事件当時、BBCラテンアメリカのヴァネッサ・ブシュシュルーター・オンライン編集長は、暗闇の中、食料も水もない場所に閉じ込められるのは「悪夢のような状況」だと報じた。

事件発生から17日後までは、この鉱山事故はチリ国外ではあまり大きく報じられていなかった。

世界にこのニュースが駆けめぐったのは、捜索のために坑道に降ろされたロープに、閉じ込められた作業員らのメッセージがくくり付けられていたのがきっかけだった。

この一報で、人々は「くぎ付けになった」とブシュシュルーター編集長は語った。

作業員の家族が現場近くの「希望のキャンプ」で夜通し見守る中、救急隊は坑道を掘り進み、作業員にたどり着こうとした。

「掘削ドリルのひとつが作業員にたどり着いたとき、キャンプではベルが鳴らされた。家族らは抱き合ったり飛び上がったりして喜び、ひざまずいて祈る人もいた」とブシュシュルーター編集長は報じている。

33人の作業員はひとりずつ、人1人がやっと入るほどの特別なカプセルに入れられて地上に引き上げられた。全員の救助には22時間を要した。

人々はチリの国歌を歌い、国旗を振り回し、シャンパンが開けられた。

2015年には、この事故をモデルとした映画「チリ33人 希望の軌跡」が公開され、アントニオ・バンデラス氏が主演した。

しかし、この話がハッピーエンドかというと、そうではない。69日間にわたって地下に閉じ込められていた作業員の多くは、救出後の名声に苦労した。また、健康や金銭的な問題を抱える人も多かった。

2011年:イングランドで大規模な暴動

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Image caption ロンドン南郊クロイドンにあった創業150年の家具店も炎に包まれた

イギリスにとっては、近年最大の市民暴動となった。発端は2011年8月4日、ロンドン北部トッテナムで当時29歳だった黒人男性マーク・デュガンさんが警察官に射殺された事件。これを受けた抗議運動が暴動に発展した。

6日から始まった暴動は4日間にわたり、暴徒は警察車両2台とバス1台、そして周囲の店舗に放火。また、店舗からの略奪が横行した。

暴動は火のように燃え広がった。ロンドンでは東部ハックニーからルイシャム、ペッカム、ウーリッチ、西部のイーリングやクラッパムまで、その後はマンチェスターやバーミンガム、ノッティンガム、ウルヴァンプトン、リヴァプールといった地方都市にも拡大した。

ロンドン警視庁の高官は事件後、当時は警察官が不足していたこと、なたなどの凶器を持った暴徒に立ち向かうことを恐れていたことなどを明かしている。

一連の暴動で5人が亡くなり、3000人以上が逮捕された。このうち1400人が禁錮刑となり、通常よりも重い刑期を与えられている。

英オックスフォード大学のジュタ・カワレロウィチ氏の研究によると、暴動の背景には、地域社会と警察の間の分断や緊張感があったという。

この研究では、警察が黒人を標的にするために職務質問を行うことが問題になっていることが明らかになった。一方で、この暴動に参加した若者は特定の人種・民族ではなかったとカワレロウィチ氏は指摘している。

2012年:オバマ氏が米大統領に再選

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Image caption バラク・オバマ大統領とミシェル夫人が抱き合う写真は、ソーシャルメディアで広く拡散された

この大統領選は接戦になると予想されていた。しかし2012年11月6日、アメリカ初の黒人大統領は再び勝利を手にし、2期目を確保した。

BBCのアンソニー・ザーカー北米記者は、オバマ氏の2期目当選は特に重要だったと指摘する。アメリカの有権者が「黒人男性を大統領とし、ホワイトハウスにとどめたいと思うことにためらいがない」ことが証明されたからだ。

民主党所属のオバマ氏は堅実かつ熟練した選挙活動を行った一方、共和党のミット・ロムニー候補をアメリカの主流派有権者にうといエリート起業家として描いたとザーカー記者は説明した。

オバマ政権の1期目、アメリカは過去数十年で最悪の景気後退のさなかにあった。オバマ氏は国内の医療保険制度を一新するとともに、共和党の強硬な反対を押し切って、経済促進プログラムを可決させた。

そして再選後の演説では、「これからもっと良いことが起きる」と国民に話しかけた。

2期目では気候変動への国際的な取り組みを決めた「パリ協定」に調印し、イランとの核合意を実現し、キューバとの外交関係を復活させた。

一方で、医療保険制度の問題や、銃規制法案が可決されなかったことなど、2期目には挫折も目立った

ザーカー記者は、「そしてこの4年後、民主党のヒラリー・クリントン大統領候補(当時)は、オバマ氏の勝利を支えた若年層で、マイノリティーで、労働者階級のアメリカ国民の支持を再構築できなかった」と指摘している。

2013年:ボストン・マラソン爆弾テロ事件

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Image caption 爆発直後、銃を持って現場にかけつけた警察官。倒れているのはマラソンに参加していたビル・イフリグさん(78)

2013年4月15日に行われた第117回ボストンマラソンは、その華々しいゴールライン付近が一瞬にして凄惨な光景になった。

圧力鍋を使用し、くぎなど先の尖ったものやボールベアリングなどが詰まった即席爆弾が2つ、爆発したのだ。

このテロで、8歳の少年を含む観客3人が死亡。260人以上がけがをした。けが人の中には、脚を失った人も多かった。

アメリカでは毎年、何らかのテロ事件が起きているが、この事件は「単なる悲劇を超え、国を巻き込み、現在まで続くドラマになった」とザーカー記者は説明する。

犯人捜索のため、ボストン市内は数日間、封鎖された。

ザーカー記者は当時について、「伝統的な報道機関とソーシャルメディア、双方が犯人探しの舞台となっていた。アメリカ中の人々が、恐怖と苛立ちの中で事態の一部始終を見守っていた。デマも、手がかりの行き詰まりも、劇的な直接対決も」と話した。

事件当日から3日後、連邦捜査局(FBI)はタメルラン・ツァルナエフとジョハル・ツァルナエフの兄弟が容疑者として浮上していると発表。2人が映った防犯カメラの映像を公開した。

直後にマサチューセッツ工科大学(MIT)で騒ぎが起き、警察官が駆けつけたところ、両容疑者に射殺された。

両容疑者はその後、盗んだ車で逃走。追跡する警察車両に爆発物を投げるなどしたが、最後には交通事故で車を止めた。

兄のタメルラン容疑者は、その後の銃撃戦で射殺された。一方、弟のジョハル容疑者は徒歩で逃走。その後、地元住民の家の裏庭でボートの中に隠れているところを発見された。

ジョハル容疑者の裁判で弁護団は、兄のタメルラン容疑者が主犯格だと主張したが、検察側は兄弟は平等なパートナーだったと述べた。

ジョハル容疑者は30件の容疑で有罪となり、死刑判決を受けた。

今年12月、ジョハル死刑囚の弁護団は、陪審員が偏っていたとして、死刑判決に対する不服申し立てを行った。

2014年:ピーチース・ゲルドフさん、ヘロイン中毒で死亡

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Image caption ピーチース・ゲルドフさんは、死の直前にヘロインを再び使うようになったという

イギリスのモデルでテレビ司会者のピーチース・ゲルドフさん(当時25歳)は2014年4月6日、ヘロインの過剰摂取で亡くなっているのが発見された。

BBCのマーク・サヴェージ・エンターテインメント記者は、このニュースはイギリス国民にとって衝撃的だったと話した。

「救急サービスからの最初の報告では、この悲劇は『説明の付かない突然のもの』だとされていた。しかしそれがすぐに、ピーチースさんの母親ポーラ・イエーツさんのショッキングな死を思い起こさせた」

テレビ司会者だったイエーツさんは41歳の時、ヘロインの過剰摂取で亡くなった。ピーチーズさんは当時11歳だった。

イエーツさんとミュージシャンのボブ・ゲルドフさんの次女だったピーチースさんは、若いころからパパラッチ・カメラマンたちのお気に入りで、ロンドンのパーティーから未明に帰る様子をたびたびとらえられていた。

その後、2番目の夫でミュージシャンのトム・コーエンさんと2人の息子とともに郊外へ移り住み、ソーシャルメディアに家族の様子を投稿していた。

イギリスの子育て雑誌「Mother and Baby」がピーチースさんの死の1カ月前に掲載した記事では、「母親になることでようやく自分になれたようだ」と語っていた。

ピーチースさんの死後、BBCには読者からのお悔やみのメッセージが数多く届けられた。

死因審問では、ピーチースさんがヘロイン中毒だったこと、ヘロイン中毒の治療に用いられるメサドンという別の麻薬を2年半にわたって服用していたことが明らかになった。

夫のコーエンさんは審問で、ピーチースさんは死の直前にヘロインを再び使うようになったと証言した。警察はヘロインの出所を捜査していたが、審問は1年後、この答えが出ることなく終了した。

2015年:パリ同時多発テロ

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Image caption 銃撃犯はパリのバタクラン・ホールに突入し、観客に向かって発砲した。バタクラン・ホールの外には事件後、花束やろうそくが捧げられた

2015年11月13日、パリ市街で同時多発テロが発生した。コンサート会場やレストランなどで銃撃や爆弾攻撃が相次ぎ、130人が死亡、数百人が負傷した。

BBCのルーシー・ウィリアムソン・パリ特派員は、パリ11区の古い建物に当たる銃弾の音を覚えていると語る。

フランスではこの当時、テロ事件が連続して発生していた。同年1月には週刊風刺新聞「シャルリー・エブド」の本社にイスラム過激派が乱入し12人を殺害。また、翌2016年7月には南部ニースで海沿いの遊歩道に大型トラックが突入し、84人が死亡した。

パリ同時多発テロの首謀者とみられているのは、ベルギー国籍のアブデルハミド・アバウード容疑者。事件から5日後、パリ北部で行われた捜索中に警察が殺害した。

数カ月後、実行犯で唯一生き残っていたサラ・アブデスラム容疑者も、ブリュッセル・モレンベック地区の強制捜査で発見され、逮捕された。その後、20年の禁錮刑が言い渡されている。

この事件では、過激派勢力「イスラム国」(IS)が犯行声明を出した。

ウィリアムソン記者は、「丸2年もの間、フランスは何度も何度も殴られているようだった」と当時を振り返った。

しかし、パリ同時多発テロは「他とは何かが違った」という。事件から4年がたった現在、「その影響は水面下で生き続けている」とウィリアムソン記者は説明する。

「風刺新聞のジャーナリストや警官、ユダヤ人コミュニティー、キリスト教の司祭、フランスの象徴といったものが標的にされていた中、この事件では『みんな』が憎しみの標的になった。コンサートにいた人、レストランにいた人、サッカーの試合を見ていた人」

「この事件の標的は、フランスらしく人生を楽しんでいる人たちだった」

2016年:欧州連合離脱をめぐる国民投票

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Image caption 国民投票の結果に喜ぶイギリス独立党のナイジェル・ファラージ党首

2016年6月23日に行われた欧州連合(EU)離脱の是非を問う国民投票のライブ配信ページは、BBCニュースのウェブサイトが誕生して以来、最も読まれたページだ。

当時のデイヴィッド・キャメロン首相はこの投票が「我々の世代で」最大の決定になると述べ、EU残留に投票するよう人々に訴えた。

しかしBBCリアリティーチェック(ファクトチェック)のクリス・モリス記者は、国民投票に向けた選挙活動は「出所が疑わしいものも含め、主張の嵐だった」と振り返る。

公式の離脱運動「Vote Leave(離脱に投票を)」は、ラッピングバスに「イギリスはEUに毎週3億5000万ポンド(約485億円)を支払っている」という文言を掲げていた。

ロンドンやスコットランド、北アイルランドの選挙区では残留派が多かったものの、国民投票では離脱52%、残留48%でEU離脱が決まった。

ボリス・ジョンソン首相は当時、「Vote Leave」を主導していた。ジョンソン氏は結果を受け、有権者が「心の中を探った結果」だと述べ、イギリスが独自の法や税金を制定し、国境管理ができるようになった「栄えある日」だと話した。イギリス独立党(UKIP)のナイジェル・ファラージ党首(当時)も、この日をイギリスの「独立記念日」だと称えた。

キャメロン首相は投票の翌日に辞任を発表した。

モリス記者は、国民投票は「現在のイギリス政界の分断を作り出した。今回の総選挙でも、この分断はなくならなかった」と説明する。

「ブレグジットが起きることは分かっているが、関連する苦々しい議論はなかなか無くならないだろう」

2017年:イギリスで総選挙

Image caption 2017年に解散総選挙が決まった際、東部ブリストルのブレンダさんは「冗談でしょ、なんでそんなことしなきゃいけないの」と反応して有名になった

「冗談でしょ、またやるの!? 」

これは2017年、当時のテリーザ・メイ首相が解散総選挙を発表した際の、ブリストル在住のブレンダさんの叫びだ。2015年のEU離脱が決まった国民投票以降、イギリス国民はすでに政治に疲れていた。

ブレンダさんを取材したBBCのジョン・ケイ・アナウンサーは、「ブレンダさんはこの一言で、何百万人もの有権者の考えを代弁した」と語る。

「彼女のすてきなブリストルなまりと、買い物用のカートもあいまって、テレビ向けに最高の絵が撮れたと感じた」

メイ氏は、国民投票後に「正確性と安定性、そして強いリーダーシップ」得るためにこの総選挙が必要だと話していた。

しかし6月8日の投票の結果、与党・保守党は下院で過半数議席を失い、北アイルランドの民主統一党(DUP)と閣外協力することになった。

選挙後、最初の数カ月間は、政府もスムーズに議会で法案を可決していた。しかしこのころには既に、政治的な膠着(こうちゃく)状態が始まっていた。

ブレンダさん自身はパソコンや携帯電話を持っていない。ケイ・アナウンサーが今年に入り、総選挙を機に再び彼女の発言がインターネットで拡散されたと伝えると、「あんまり良いことじゃなさそうね」と返ってきたという。

2018年:テリーザ・メイ首相、EU離脱協定に合意

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Image caption 首相官邸前で演説するテリーザ・メイ首相

2018年11月25日、EU加盟27カ国の首脳は、メイ首相が提示していたイギリスの離脱条件を承認した。

これによってイギリスは秩序だったブレグジットを迎えるかのように見えたが、その魔法は長くは続かなかった。

首脳会議後にブリュッセルで記者会見したメイ英首相は、内閣はこの離脱合意を承認しており、「交渉できる範囲で最高のもの」だと評した。しかし、すぐに反発に見舞われる。

ドミニク・ラーブEU離脱担当相をはじめとする閣僚が次々に協定に反対を表明し、辞任。メイ首相は12月に保守党党首として不信任案を突きつけられたが、これは否決された

イギリス議会は2019年に入り、この離脱協定を3回にわたって否決。メイ首相は離脱期限を2019年3月29日から10月31日に延期し、6月に辞任した

2019年:イギリスで総選挙(再び)

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Image caption 愛犬のディリンと投票所に来たボリス・ジョンソン首相

BBCのジョナサン・ブレーク政治担当編集委員は、2019年12月12日午後10時(日本時間13日午前7時)のビッグ・ベンの鐘の音とともに「全てが変わった」と説明する。

BBCのヒュー・エドワーズ司会者が出口調査の結果を発表したところ、保守党は全野党よりも80議席多い過半数議席を獲得していたことが判明。1987年以来の大勝利となった。

「(ジョンソン政権は、)『ブレグジットを実現する』という単純に見える公約にこれでもかと集中した選挙活動によって、保守党の手が届かないと思われていた有権者を獲得した」とブレーク委員は分析する。

最大野党・労働党は1935年以来で最大の敗北を喫した一方、スコットランド国民党(SNP)は地元で大きく議席を伸ばした。

北アイルランドでは、ナショナリスト(親アイルランド派)がユニオニスト(親英派)よりも多く議席を獲得した。

「しかし首相官邸ではジョンソン氏の力が増し、支持層も厚くなり、自由にやりたいことができるようになった」

「この総選挙によって、イギリスのEU離脱への道は確実なものになり、労働党は破綻し、(EU離脱をめぐる)2度目の国民投票を求める声は鎮められた」

2010年代は、見極めの難しい投票や政党間の密約がイギリスの政界を動かしてきた。しかし保守党が圧勝した現在、2020年代の様相は大きく変わるだろう。

(英語記事 Riots and rescues: The decade's most read stories

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