【解説】 英首相の上級顧問、ドミニク・カミングス氏とはどんな人物か?

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ボリス・ジョンソン英首相の上級顧問を務めるドミニク・カミングス氏は、長年蓄積されてきた知見に反抗し、確立された秩序を乱すことでキャリアを積み上げてきた。

現在、首相に最も近い政治顧問となったカミングス氏は、過去20年近くにわたり政府や保守党の中枢部周辺を活動の場にしてきた。

しかし、黒幕としてその名をとどろかせたのは2016年。欧州連合(EU)離脱をめぐる国民投票で、公式の離脱運動「Vote Leave(離脱に投票を)」を勝利に導いたことがきっかけだった。

離脱派のスローガンとなった「Take Back Control(コントロールを取り戻そう)」を考案したのも、予算の多くをデータ分析やソーシャルメディア上のターゲット広告に費やしたのも、カミングス氏だ。

カミングス氏自身は保守党員になったことはない。下院の議席を占める議員の多くは、何の信念もなく世間の注目に依存するだけの日和見主義だと見下していて、相手にしようともしない。

相手を見下し鼻にもかけないその態度は、マスコミ相手にも同じだ。少なくとも、彼の自宅前で職務として張り込み取材をする記者たちには、つっけんどんな対応しかしない。記者の真面目な質問には、荒唐無稽な返事をする。

最近では、内閣改造や高速鉄道「HS2」の敷設計画について質問しに来た記者たちを、「パジャマスク(子供向けのアニメキャラクター)が必要だ」というシュールな回答で煙に巻いた。

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Image caption ボリス・ジョンソン首相

カミングス氏は長年の欧州懐疑派だ。イギリスの単一通貨ユーロ加入に反対する団体「ビジネス・フォー・スターリング」のキャンペーン・ディレクターとして、政治活動を始めた。そしてブレグジット(イギリスのEU離脱)に加えて、政府の仕組みを変えようと情熱を注いでいる。

カミングス氏は1月、政府で働きたい「変わった能力を持つ、はみ出し者や変わり者」求むと、自分のブログで募集し、世間を騒がせた。

このブログでカミングス氏は、官庁街ホワイトホールにいるキャリア公務員や「はったりだけで世間を渡るパブリックスクール出身者」は全員、複雑な問題について判断を下す能力に欠けていると批判した。代わりに数学者やデータ研究者により大きな職務を与えるべきだと述べ、自分も独学でそういう分野の勉強をしてきたと語っている。

カミングス氏のワッツアップのプロフィールには、優先事項として「ブレグジットを実現、それからARPA」と書かれているという。

ARPAとは1958年に設立されたアメリカの国防高等研究計画局のことで、シリコン・ヴァレーの創設につながったとされている。

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Image caption 「EUの代わりに国民保健サービス(NHS)に資金を」という文言が書かれたラッピングバスは、離脱運動の中でも特に際立った戦術だった

カミングス氏は、イングランド北東部のダラム出身だ。父親のロバート氏は石油掘削プラットフォームの技師。母親のモラグ氏は教師で、行動学の専門家でもあった。

カミングス氏は公立の小学校から私立のダラム・スクールへと進学。オックスフォード大学で現代史を学び、最優等の成績で卒業した。その後、ロシアで何年か過ごしており、そこでは航空会社の設立プロジェクトなどに関わっていた。なお、この航空会社のプロジェクトは頓挫(とんざ)している。

「ビジネス・フォー・スターリング」のキャンペーン・ディレクターを務めた後は、保守党のイアン・ダンカン=スミス元党首の戦術顧問を8カ月務めた。

2004年には、地方分権政策の一環で検討されていた公選地域議会について、地元で反対キャンペーンを主導。「ノースイースト(北東部)はノーと言う」運動はその後、住民投票で同議会の設置を否決しており、結果的には後のEU離脱における活動の予行演習となった。

カミングス氏が展開した「ノースイーストはノーと言う」運動は、白いゾウの風船を飛ばし、住民の政治嫌いに訴えかける分かりやすいスローガンを駆使した。

カミングス氏はその後、ダラムにある父親の農場にこもったとされる。そこで科学や歴史の本を読みあさり、世界をより深く理解しようとしたのだという。

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Image caption ジェイムズ・グレアム脚本、英チャンネル4放送の「Brexit: The Uncivil War」では、ドミニク・カミングス氏をベネディクト・カンバーバッチ氏が演じた

政治の世界に再び現れたのは2007年、マイケル・ゴーヴ議員の特別顧問としてだった。ゴーヴ氏は2010年に教育相となったが、この2人は気が合ったようだ。カミングス氏は、上級公務員や教員労組が一緒になって改革を妨げていると考え、彼らをまとめて「The blob(ぐにゃぐにゃしたもの)」と呼び、ゴーヴ氏と共に激しく攻撃した。

しかし、それによって教育省や保守党の大勢の神経を逆なでしたカミングス氏は、フリー・スクール(自治体の管轄下にないけれども公費で運営される学校)を創設するとしてゴーヴ氏の顧問を辞任した。

2011年に週刊誌スペクテイターの記者メアリー・ウェイクフィールド氏と結婚したカミングス氏は後に、デイヴィッド・デイヴィス元EU離脱担当相を「とても馬鹿で、だらしのない人物」だと評したこともある。当時のデイヴィッド・キャメロン首相はカミングス氏のこうした物言いに激しくいら立ち、「プロのサイコパス」だと呼んだほどだった。

こうした中、「Vote Leave」にカミングス氏を起用したことは、離脱運動をまとめたい人たちにとっては取る価値のあるリスクだった。しかし、カミングス氏はここでも議論を残していった。「Vote Leave」におけるカミングス氏の活動は昨年、人気劇作家ジェイムズ・グレアム氏の脚本で英テレビ局チャンネル4が「Brexit: The Uncivil War」としてドラマ化している(uncivil warとは「ぶしつけな戦争」の意味、あるいは「civil war=内戦」の反語の意味になる)。

「Vote Leave」についてはその後、選挙委員会によって、選挙法で定められている活動の支出上限に違反していたことが明らかになった。カミングス氏本人も、下院のデジタル・文化・メディア・スポーツ委員会の召喚に応じず、証拠を提出しなかったとして、議会侮辱罪に問われた。

下院審議で議員たちに詰問されることも何度かあったが、そのたびに激しい舌戦となり、双方に悪感情が残った。

ブレグジットについては、下院が離脱案をまとめなかったことを非難し、政府はEU離脱を通告するEU基本条約(リスボン条約)第50条の発動を遅らせるべきだったとも主張した。

また、自身のブログでは現職にあまり長く留まりたくないとほのめかしているものの、早々に首相官邸を離れそうな気配はまったく見せていない。

(英語記事 Who is Dominic Cummings?

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