【解説】 東京五輪、ぎりぎりのタイミングでなされた正しい決断

トム・フォーダイス、BBCチーフスポーツライター

Tokyo 2020 Image copyright Getty Images
Image caption 7月24日開幕予定だった東京五輪は延期され、来年夏までに開催することが決まった

オリンピックではある瞬間が訪れる。開会式後のある時点で、ドラマや記録更新、新たなヒーロー誕生の話題で持ちきりになるころ、周囲を見渡してこう思う。地球上の1マイル(約1.6キロ)四方ほどの場所で、これほど多くの人の注目を集めているのは他にない。

それが夏のオリンピックだ。まるで世界の中心にいる気分にさせてくれるのだ。そしてこれが、国際オリンピック委員会(IOC)が2020年東京五輪の延期を決めるのにとても長い時間がかかった理由であり、他の決定はあり得なかった理由だ。

IOCは、オリンピックという複雑で費用がかかり、虚栄心に満ちたイベントを実行してきた歴史と力、自負心がある。その同じ性質が、周囲の関係者たちとのずれを生むこともある。世界の国々から言い寄られ、懇願されるのには慣れているが、その反対には慣れていない。

オリンピックとパラリンピックは金融危機のさなかでも、テロリストの残虐行為の後でも、政府が溶解した状態でも開催されてきた。企業からのお金があるからだけでなく、その中心となる訴えに不朽の純粋さもあるから前進が可能だった。その訴えとは、大会は世界中の若者を一堂に集めるし、彼らが家族や友人、それぞれの国の人たちを一緒に連れてくるというものだ。

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精鋭たちが集まれないとはっきりした場合だけ、オリンピックは中止されてきた。世界の半分に外出禁止令が出されている状況で、選手と観客が集う大規模なイベントを開くという発想はもう意味がなかった。世界は変わったのであり、オリンピックも変わらなくてはならない。

新型コロナウイルスのパンデミック(世界的流行)がどうなるかをみるために、あと4週間も待つことはできない。この段階になると、選手にとっては1日1日が大きいのだ。棒高跳び選手は、裏庭で飛び跳ねてオリンピックに備えることはできない。ボートのエイト(8人こぎ)の選手が別々に練習することは不可能だ。ボクシング選手はスパーリング相手が必要だし、テニス選手は対戦相手が不可欠だ。

それらすべての選手がコーチや医療スタッフ、栄養士が必要だ。競技場や体育館、競輪場もなくてはならない。水泳プール、公道、更衣室も欠かせない。

選手たちには五輪選考レースや試合、大会が必要だ。審判の判定や関係者によるドーピングテストも不可欠だ。努力と試練と練習が報われるためには観客がいなくてはならないし、誰もが五輪で何が起きたのかを知ることができるように、放送局員や記者、カメラマン、広報担当者も欠かせない。

スポーツ界最大の集会を1年先延ばしにするのは安易な決定ではない。オリンピック・パラリンピックはどの開催都市にも特別なものをもたらすが、莫大な費用との引き換えとなる。その費用は、完成した競技場が空席で運営されたり、移動や警備、ロジスティクスに関連する契約が本来の期間から何カ月も先まで延長されたりすることで、一気に跳ね上がる。

延期は、ひと夏の3週間のためにほぼ4年間を費やしてきた選手たちにも、とてつもない影響を及ぼす。全選手が来年にピークを迎えられるわけではない。年をとって衰えたり、けがをしたりする人もいるだろう。

生活もオリンピックを中心に回っている。家族には待ったがかかる。赤ちゃんの予定も延期される。結婚や婚約は秋か空いている冬まで待たなくてはならない。

家計にも影響する。イギリスでも、宝くじ基金は選ばれた団体しか支援しない。

賞金と出場料で暮らしている選手にとっては、年間スケジュールが吹っ飛ぶのは単にレースが無くなるだけではない。その分を講演や学校訪問で補おうとしても、民間企業はここ何十年間でもっとも厳しく支出を切り詰めているし、学校システムは部分的に閉鎖されていて、その影響を直接受けている。

今回の延期は、1976年モントリオール五輪のアフリカのボイコットや、1980年モスクワ五輪でのアメリカ主導のボイコット、1984年ロサンゼルス五輪の東側諸国による報復的なボイコットなどのように、オリンピックの存在を脅かすものではない。

オリンピックの理念も魅力を失っていない。離脱する国やライバルとなる団体が出現しているわけではない。日本はこの巨大な大会をさらに1年前進させ続ける経済力がある。それは、4年前のブラジル政府や、2004年のギリシャ政府にはできなかったことだろう。

ある意味、これが東京五輪を作り出すことになるかもしれない。

オリンピックの歴史はスキャンダルにまみれている。わいろ、ドーピング、空っぽで朽ちかけてしまった会場……。

夏季オリンピックについて、これまでの経験から期待感を持ち続ける一方で、どれくらいのコストがかかるか疑問に思う人もいるだろう。主にファストフードとソフトドリンクの企業がスポンサーとなり、観衆は大会が終わるとすぐに興味を失い、ましてやスポーツを自分でもやってみようかと思う人などいない。そんな多大な金を費やす3週間のレガシーとは一体何なのだろうか?

東京五輪が開かれれば、新型ウイルスのパンデミックの余波の中で開かれる最初の世界的な祝賀イベントとなる。何カ月にもわたって人々が離れて暮らし、団体として何かをするということがなかった後に、各国を引き寄せるイベント、物語がやって来る。

オリンピックのメインスタジアムに座り、天井からつり下げられた200近い参加国の国旗を見たときに初めて、眼下の陸上競技場で起きている、真の共同体の特質を心から感じることになる。

閉会式では数千人の選手たちが入場して来るのを見るだろう。勝者がいれば敗者もいる。笑顔やダンスを目にするだろうし、たくさんの個別の旅が最高潮を迎えるのを感じるだろう。

最終日の夜に開催都市を歩けば、あらゆる体つきの人たちが目に入り、「何の種目か」を当てるゲームができる。背の低いやせた陸上の長距離選手が、2倍も大きなバレーボール選手と話し込んでいる。ブルガリアの重量挙げ選手が、パラグアイの近代五種選手とピンバッジを交換している。こうした光景が間違いなく繰り広げられる。

東京五輪ではさらに多くのことを目にするだろう。それは、過去70年で最も暗い時期から立ち上がろうとしている世界の姿だ。そして、私たちがまだ共有している祝祭であり、誰も二度と当然のこととは思わないであろう解き放たれたカーニバルだ。

(英語記事 'The right decision, made just in time'

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