ミャンマーの軍クーデター、その日市民らは 「一夜で世界が転覆」
アリス・カディ、BBCニュース

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ミャンマー国軍の支持者らは車列をつくってパレードし、クーデターを祝った(1日、ヤンゴン)
ミャンマーで1日朝、国軍が国家の権力を掌握したというニュースが、寝起きの国民に届けられた。人々はどう受け止めたのか。
「クーデターをライブでツイートすることになりそうだ」。元ロイター通信記者のアイミンタント氏はこの日午前7時前、ツイッターにそう投稿した。
「今はまだ静かだが、人々は目を覚まし、おびえている。私のもとには午前6時から友人や親類から電話がかかってきている。インターネット接続は不安定で、SIMカードは使えなくなっている」
国軍による政権奪取は、軍営テレビ局が放送した声明で発表された。
国軍総司令官が政府トップになり、1年間の国家非常事態が宣言されたという内容だった。民主勢力のリーダーで与党・国民民主連盟(NLD)を率いるアウンサンスーチー国家顧問は、同党のメンバーらとともに拘束された。
ミャンマー国軍のクーデターは「民主主義に対する攻撃」 国連の特別報告者
ミャンマーでは昨年11月、総選挙でNLDが大勝。国軍は、この選挙で不正があったと主張していた。アウンサンスーチー氏は支持者らに「クーデターに抗議」するよう強く訴えかけた。
ビルマとも呼ばれるミャンマーでは軍事政権が続いていたが、2011年にアウンサンスーチー氏率いる民主改革勢力がこれを終わらせた。
「2度とないと思っていた」
ミャンマーの主要都市ヤンゴンの市民(25)は、早朝の散歩に出かける準備をしていた時、アウンサンスーチー氏が拘束されたとのメッセージが友人から届いたとBBCに話した。
報復を恐れ匿名を条件に取材に応じたこの女性は、友人からの知らせを受けて、すぐにソーシャルメディアに接続したと述べた。
「朝起きたら世界が完全に変わっていたというのは初めての感覚ではないが、もう過去のことで、2度と味わうことはないと思っていた」。女性は子どものころの軍事政権時代を振り返りながら語った。
「衝撃だったのは、地域の幹部がみな拘束されたこと。アウンサンスーチーだけじゃなく、誰でも拘束することを示していた」
地方議員パ・パ・ハン氏が拘束される様子は、彼女の夫がフェイスブックでライブ動画を流した。
地方議員パ・パ・ハン氏が自宅で軍に拘束される様子
映画製作者ミンティンココジ氏ら政治活動家の拘束も報じられている。
ミャンマーの団体・政治犯支援協会(AAPP)はBBCに、少なくとも42人の公職者と、16人の社会活動家の拘束を確認していると話した。
同協会は名前の確認を進めているとし、拘束者の一部が解放されたと述べた。
「軍の車両が街中を走行」
「早朝、目が覚めたら軍事クーデターのニュースが流れていて、友人が何人か拘束された」。匿名希望の女性活動家はBBCの番組ニューズデーで、そう語った。
「インターネットにはもう接続できない(中略)。外に出られず、電話も使えず、情報がまったくない。これが今の状況だ。街中を軍の車両が走り回っている」
ミャンマーのジャーナリスト、ケイプ・ダイアモンド氏は、首都ネピドーで午前4時から11時15分まで、信号機が機能していなかったとツイートした。その後さらに、「電話もWiFiもだめだ」と投稿した。
海外と国内のテレビ放送は、国営放送も含め中断された。
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ヤンゴンの民家や企業からは、与党NLDの明るい赤色の旗が取り払われた。
「私の隣人はNLDの旗を降ろした(中略)。暴力への恐怖は本物だ」。ジャーナリスト兼リサーチャーのアニー・ザマン氏はツイッターに書き込んだ。
彼女はその後、地元の市場で旗のシールが取り除かれる様子の動画を投稿した。
市民らは生活必需品を買いだめ、銀行ATMで出金の列をつくった。銀行はインターネットの接続が不安定だとして営業を停止。2日に再開するとした。
BBCビルマ語のニェインチャンアイ記者は、ヤンゴンの街のムードについて、「恐怖、怒り、フラストレーション」が広がっていると話した。
同記者によると、多くの人は米などの必需品の買い出しを終えると、次の展開を見守ろうと家の中にとどまっているという。
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銀行やATMには市民らの列ができた(1日、ヤンゴン)
逆戻りへの不安
ミャンマーはこのところ経済的に苦しんでおり、クーデターの発生で多くの人は、基本的な生活が脅かされることを恐れている。
ヤンゴンの貿易業者マナン氏はBBCに、「(物の)価格が上がるのを心配している。娘はまだ学校(教育)を終えていない。途中だ。それに(新型コロナウイルスの)パンデミックもある」と話した。
ヤンゴンの主婦タンタンニュン氏も、物価上昇が不安だとし、「人々は反乱を起こす」と話した。「アウンサンスーチーと彼女の仲間らがすぐに解放されることを望んでいる」。
今回のクーデターによって1990~2000年代の軍支配下での暮らしに戻るのではないかとの恐怖は、現実的なものとなっている。
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1988年の暴力的な弾圧以降、20年以上にわたって軍事政権が続いた
国軍は1988年にクーデターを起こし、流血の事態となった。当時のソビエト連邦式の一党支配に反対する抗議行動が抑え込まれ、学生数千人が死亡した。
アウンサンスーチー氏はそのとき頭角を現した。同氏は1990年の選挙で勝利したが、軍事政権はそれを認めなかった。以降20年間にわたって、同氏は軍政と人権侵害に対する闘いを続けた。
軍事政権下では、汚職や物価の乱高下、日々の暮らしに対する抑圧、一部地域での慢性的な栄養不足、民族間の争いが目立った。いまミャンマー国民は、この先どうなるのか不安を覚えている。
前出の25歳のヤンゴン市民は、「過去にもっと悪い状況から前進したのだから今回も前進するんだと、みんなが自分自身に言い聞かせようとしている」とBBCに話した。「ただ、そんなことはしたくなかった。自分自身に強くなれなどと言わずに済んでほしかった」。
「路上の市場は営業」
国軍の支持者らの中には、今回のクーデターを歓迎し、愛国的な音楽を大音量で流しながら街中をパレードする人たちもいる。
元ロイター通信記者のアイミンタント氏は、ツイッターにそうした様子の動画を投稿した。
ミャンマーで6年近く暮らしているアメリカ人グリフィン・ホチキス氏は、「軍支持の民間人の車列が大音量で音楽を流し『祝福』していた。一方で、近所の(NLD支持者の)人々は見るからに怒っていた」と述べた。
クーデターの影響が深刻ではないとして驚く声も上がっている。
ホチキス氏はヤンゴンに向かう途中、「市役所の庁舎周辺に軍の車両が出ていたほかは、普段と変わった様子は特に見当たらなかった」と話した。
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国軍支持者らの車列(1日、ヤンゴン)
ホチキス氏はこの日、「人手はかなり少なかった」ものの、多くの商店が営業をしていたと述べた。
ヤンゴンでミャンマー人の妻と暮らすマイケル・ギルザン氏は、「人々が通りで抗議デモを行い、軍の車両が街中で警戒する状況を予想していた。でもそうしたことは起きていない」と話した。
BBCリアリティー・チェックのチームの調べでは、ミャンマーのインターネットの通信制限は1日午前3時に始まり、同8時には接続が通常の50%ほどに低下。日中には75%ほどまで回復したとみられる。