【東京五輪】 難民選手団、どんな人たち? 女性抑圧との闘いと希望を象徴

qqMasomah Ali Zada competing in the road race

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マソマハ・アリザダは28日、自転車の女子個人ロードタイムトライアルに出場した

東京オリンピックには、母国の紛争や抑圧を逃れた難民らで構成する、国際オリンピック委員会(IOC)の難民選手団が参加している。世界の8200万人を代表する選手たちは、自由と平和への願いを体現する存在でもある。

アフガニスタン出身の自転車選手マソマハ・アリザダにとって、東京オリンピック出場は、単に自分だけの大切な瞬間ではなかった。自転車に乗ることさえ許されない世界中の数多くの女性たちにとっての希望と反乱の象徴だった。

出身国のアフガニスタンでは、自転車で道路に出ただけで石や果物を投げつけられた。市民を狙うタリバンの襲撃が増えていて、目立つ女性はとりわけ標的となった。

やがてあまりにも危険な状況に陥ったため、彼女は2016年に一家でアフガニスタンを離れ、フランスで難民認定を申請した。

だが自転車はそこで終わらなかった。

「メッセージを発信できるのが誇り」

マソマハは難民アスリートのためのオリンピック奨学金を獲得し、奨学金に助けられてトレーニングを続けた。5月には難民選手団代表に選ばれた。

28日にはほかの24人とともに、富士国際スピードウェイで行われた自転車の女子個人ロードタイムトライアルに出場した。

「8200万人の難民と、女性は自転車に乗るべきではないと考えるアフガニスタンや他国の女性全てを代表する責任は大きい」。競技後、BBCスポーツにそう語った。

「難民チームを代表して、希望と平和のメッセージを発信できることを誇りに思う」

28日はアリザダにとって、人生で初めてのタイムトライアル出場だった。

「あれは私の人生初のタイムトライアルだった。私は長距離の準備をしてきたので。けれど直前になって、タイムトライアルをやることに決めた」とアリザダは話し、「私にとって忘れられない経験になった」と振り返る。

レースでは最下位でゴール。金メダルはオランダのアネミック・ファン・フルーテンが獲得した。しかしあの場にいたアリザダは、もっとずっと大勢の人たちの代表だった。

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「自転車に乗るためタリバンから逃げた」 東京五輪目指すアフガン女性選手

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「道具」のように扱われ

2020年1月、キミア・アリザデヘ(23)は母国を後にした。自分は「イランで抑圧されている何百万人もの女性」の1人にすぎないと感じていたと振り返る。

1年半後、東京オリンピックのテコンドー女子57キロ級で、2度の五輪優勝実績を持つジェイド・ジョーンズ(イギリス)を破り、難民選手団初のメダル獲得まであと一歩に迫った。

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キミア・アリザデヘ(左)は五輪金メダリストのジェイド・ジョーンズ(イギリス)を16-12で下した

オリンピックでの成功実績はある。2016年リオデジャネイロ大会では銅メダルを獲得した。イラン女子初のメダルだった。しかしその後の処遇がイランから離れることを決断させた。

大会後、イランに帰国したアリザデヘは、当局からまるで「道具」のように扱われたと話す。それ以上イランにとどまるくらいなら、ホームレスになるリスクを取ろうと考えた。

「私は彼らにとって大切な存在ではなかった。私たちは誰一人として、彼らにとって大切な存在ではなかった」

「テコンドーが助けてくれた」

ドイツに渡ったアリザデヘは亡命を認められるが、イラン政府はすぐにその決断を非難。やがて彼女はSNSで脅迫を受けるようになる。

「本当につらかった」。アリザデヘはオリンピックチャンネルにそう語った。「国を変え、言葉を変え、全てが変わる。それは心の大きな重圧になる。それでもテコンドーが苦しかった時の私を助けてくれた。トレーニングしている時は、何も考えないで済む」。

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キミア・アリザデヘはリオ五輪で銅メダルを獲得した後、名声に押しつぶされそうだったと話す

アリザデヘは正式に所属を変更してドイツ代表チームに加わることを望んでいた。しかし、イラン・テコンドー協会に他国での大会出場を阻まれ、2018年以来、公式戦には出場できていなかった。

そこで2度目のオリンピック出場を狙い、難民選手団の予選に出場。無事通過し、代表に選ばれた。

難民選手団は、IOCの奨学金支給を受けた選手29人で構成される。

「津波」というニックネームをもつアリザデヘは、「(イランを出た後は)テコンドーをやめなければならないかと思った。でも今、自由な女性になれるし、テコンドーもできる。どちらも両立できる」と話した。

東京五輪では25日の準決勝でタチアナ・ミニナ(ロシア・オリンピック委員会)に敗退。3位決定戦にも敗れ、難民選手団最初のメダル獲得とはならなかった。